母はチャキチャキの大阪のおばちゃん、家のなかは明るかった

――ひもじい、さびしいと感じたことは。

彦摩呂 これがまったくで。母がものすごく明るくて、チャキチャキの大阪のおばちゃんで、とにかく近所づきあいもいいし、元気なオカンなんですよ。

 近所には同じ年ぐらいの子どもがいっぱいいたから、誰々ちゃんのところに上がり込んだり、そこでご飯に呼ばれたりとか。で、ごちそうになったら、うちのお母さんがオムライス作って「こっちも食べに来てもらいや」「おいで、おいで。食べえ」って。

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 そういう義理人情を大事にしていたオカンで、家のなかには暗い雰囲気がぜんぜんなかったです。

 

――お母さんは、お父さんやお父さんの家に対して恨み言は。 

彦摩呂 恨みつらみは聞かされなかったけども、「あんた、こんなかわいい子を置いていくぐらいやからよっぽどやで」とかは言われたことがあります。

 小学校も5年とか6年生とかになると「なんで僕んちは、お父さんがおらへんの?」って本当のことを聞きたがるんでしょうね。そうすると、「家に帰ってけえへんようになったんや」「外に女の人を見つけたんやと思う」とか言うてたけど。

 ちょっと前に、父親に会えたんですよ。48歳のときに。会うか会わないか悩んで、母親に話したら「会うたらええやん。あんた、自分の親や」いうて。それで会いに行ったら、元気にしてて。

――それまではお父さんに会いたくなかった。

彦摩呂 お母さんが明るかったといっても、苦労してたのはわかってたし。

 恨みつらみの話と被るけど、「普通、親やったら『6歳になったな。ランドセルがいるな』って送ってくれたり、鉛筆の1ケースでも家に送ってくれる気持ちがあるもんだけど、なんもないっていうことは、向こうもたいした生活してないってことやと思う」とか言うてたんで。

 でも、「あそこの家はお父さんがおれへんから、買うてもらえへんのや」と僕がほかの子たちなんかに思われるのがイヤみたいで、流行りのおもちゃをねだったら「買うたるで。その代わり、成績頑張りや」とか、そう言っては買ってくれてました。

 だけど、大変だったと思います。