珍しいアイドルグループが誕生したと話題に

――彦摩呂さんは、メンバーのなかではどういう立ち位置で。

彦摩呂 グループ自体はわりかし硬派だったけど、僕が関西出身なので、面白いキャラというか。しゃべり担当でしたね。柔らかいけど、締めるときは締めるみたいな。

――事務所はどんなコンセプトで売り出しを。

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彦摩呂 カッコよくて硬派なお兄さんたちが面白いこともやる、というのを狙ってはいました。当時、そういうグループはなかなかいなくて。後にSMAPがそれをパーンと。

 そう狙ってはいても、太田プロはこの10人になにをやらせたらいいかわからなかった。役者をやりたいってのが、メンバー全員に共通していたことなので、「お芝居をやりましょう」と。それで、下北沢駅前劇場で演劇やコントをするライブを月イチでやるようにして。

 あと、秋元康さんのプロデュースでシングルを出してます。デビュー曲は「Come on Let's Dance」で、TM NETWORKのカバー。

アイドルだった頃の彦摩呂さん(本人提供)

――事務所はかなり力を入れていたのですね。

彦摩呂 珍しいアイドルグループが誕生したと話題になって『2時のワイドショー』『3時のあなた』で記者会見。記者会見は鶴太郎さんと(山田)邦子さんと笑瓶さんが応援に来てくれて、囲み取材もやりましたね。でも、なかなか思うように売れなくて。

 時代がガラッと変わったのもあります。『ザ・トップテン』に『ザ・ベストテン』、『夜のヒットスタジオ』と、歌番組がどんどん終わっていったし。レコードからCDに変わってね。さらに『三宅裕司のいかすバンド天国』でバンド・ブームが来たんです。88年、89年あたりで芸能界がガラッと変わるんですよね。まさにアイドルブームの末期ですよ。