「からあげクン」のCM起用で「エンジンかかっちゃって」東京へ
――高校卒業後は、東京に出てモデルを続けようと。
彦摩呂 それも考えたんですけど、高校卒業してすぐに、近鉄グループの近商ストアっていうスーパーに就職したんです。就職してからも、モデルは続けてました。
そうしたら店長に呼び出されて、「お前は近鉄の社員やのに、なんでイズミヤとかそごうのカタログに出てんねん」って問い詰められて。「すいません、学生時代からやってるアルバイトなんです」って言ったら、最終的に「おもろいやっちゃな!」って気に入られて。またキャラが明るかったし、パートのおばちゃんの歓送迎会の司会なんかも率先してやるから、みんなからよう可愛がられましたね。
――当時の食べっぷりって。
彦摩呂 普通でした。どっちかというと、食は細かったです。べつにモデルをやっていたから体重に気を付けたりとかでもなくて。体重は、55キロぐらいだったと思います。デビューのときは、56キロから58キロだったかな。
――小中高の成長期で太ったことは。
彦摩呂 子供のころは一回も太ったことないです。大人になって100キロ超えたときに膝が痛くなって、内山(信二)くんに相談したんですよ。「膝が痛い」って。
そうしたら、僕は骨が細いまま成長してるから、いわゆる“途中デブ”なんだと。内山君は3歳からデブやったんですって。だから、関節が「この体はデブに育つぞ」と覚悟して育ってるから、ぜんぜん膝が痛くないんですって。僕なんか、いまは軟骨が擦り切れちゃってるし。
――近商ストアにどのくらい勤めていたのですか。
彦摩呂 10カ月いたんです。辞めてモデル一本にしようと思っていたときに、大阪でローソンの「からあげクン」のCMオーディションに受かって。
生稲晃子ちゃんと一緒にコマーシャルを撮りました。それで「もっとやりたい。大阪じゃなくて東京に行ったほうがいいんじゃないか」と、エンジンがかかっちゃって。
ほぼほぼ片道切符で、東京に出ました。上京している先輩に連絡したら「俺、いまのアパート出るから、おまえがここに住め」と言ってくれて、しばらく世田谷の八幡山に住んでいました。
――事務所もなにも決めずに東京へ。
彦摩呂 まったく決まってなかったし、なんのコネもない。ただ、大阪時代に入っていたモデルクラブが東京にもあったので、そこに所属はしました。
