原宿ファッションビルの「アイドルボーイズ」のメンバーに

――上京後も順調にモデル業を。

彦摩呂 大阪ほどではなかったですけど、そこそこには。東京はオーディションも出版物も多いので、いろいろ呼んでもらっていました。また先輩がバイトしている喫茶店で僕も働かせてもらっていたし、その喫茶店にも「お金ないんなら、月給じゃなくて日給にして払うよ」って優しくしてもらったりして。楽じゃないけど、なんとかやってはいけていましたね。

 そうやっているうちに、原宿にあったファッションビルが運営する「アイドルボーイズ」ってグループのオーディションがあって。「ブロードウェイでデビュー!」という華々しい謳い文句に惹かれて受けに行ったんです。

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――アイドルボーイズ。

彦摩呂 その原宿のファッションビルでアルバイトしながら、アイドルグループとしても活躍するっていう。

 ファッションビルの会員になっている女性が4万人くらいいて、会員の投票で予選を勝ち抜いていくんですよ。僕らはビルの中庭にあるステージで、それぞれ踊ったり歌ったりと1人5分のパフォーマンスをして、それを見た会員の方たちが投票する。で、僕をふくめた勝ち残った20人がアイドルボーイズに。

幕末塾の頃の彦摩呂さん (本人提供)

ナイスガイコンテストで準グランプリを受賞して太田プロに

――アイドルボーイズにいた10人が、後に幕末塾になると。

彦摩呂 そうなんですよ。アイドルボーイズのメンバーとして、トランプのカードを模した衣装や妖精の格好をして、ファッションビルに来た女の子をエスコートしたり、中庭のステージで歌ったり踊ったりしてたんです。

 ちゃんとデビューはしていないので、「早く世に出たいな」と思っていたら、知り合いから「フジテレビのナイスガイ・コンテストに出ませんか?」と声をかけてもらえて。そこで幕末塾を結成したんです。

――幕末塾は、一世風靡セピアのようなパフォーマンスグループを目指していたそうですね。

彦摩呂 一世風靡セピアがメチャクチャかっこよくて、僕らは憧れていたんです。

 幕末塾を結成してすぐに僕らも、一世風靡セピアみたいに原宿の歩行者天国でパフォーマンスをして。一世風靡のみなさんも、そんな僕らを可愛がってくれて。

 何回かホコ天でパフォーマンスをしたら、すぐにファンが付いてくれて、ナイスガイ・コンテストに出るころには「ギャーッ」って歓声があがるまでになりましたね。

 ナイスガイ・コンテストでは、予選で勝ち抜いて準グランプリ。グランプリが吉田栄作さん。司会をやっていたのが、片岡鶴太郎さんと浅野ゆう子さんでした。

 で、そのまま太田プロがごっそり僕らをスカウトしてくれて、芸能界に入ったんです。「がんばろう!」って、みんなギランギランしてました。まだ若いしね。