ドジャース“出来レース”説、大谷翔平の動画、球速ダウンの原因、高3の「あの日」、ロッテファンと被災地への想い……。
渡米直前の今年2月、ロサンゼルス・ドジャースに入団が決まった佐々木朗希(23)が、「週刊文春」の独占ロングインタビューに応じ、本音をすべて明かした。(全2回の2回目/最初から読む)
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――2年目以降は、3勝、9勝、7勝、10勝で通算29の勝ち星を挙げた。
「僕の中では、2年目はまだ、けがの影響が残っていた。万全ではなく痛い中でずっと投げ続けていました。3年目、4年目、そして昨年(5年目)の3年間が、真に自分の力が試された期間だと思います。何度か戦列を離れたし、29勝という勝ち星にも、全然満足はしていませんが」
もちろん、すべては自分の責任なのですが…
――登録抹消も度々あり、規定投球回数に到達したことはありません。一部には、メジャー挑戦を見据えて、肩を温存しているのでは、という見方もあった。
「実際のところ、僕がコンディションが悪い中でも頑張って投げてきたのは間違いありません。昨年、2カ月ぐらい登録抹消された時(6月から8月)なんて、1カ月ぐらい腕がまったく上がらなくなってしまった。
さっきお話ししたように、あまりよくないフォームで投げていたので、5月ぐらいから変な影響が出てきて、身体のコンディションがすごく悪くて。それでも、だましだまし1カ月ぐらい頑張ったんですけど、最後は腕が上がらなくなった。もちろん、すべては自分の責任なのですが。メジャー挑戦のために肩を温存なんて、あるわけがありません」
こうしたけがの経験も早期渡米の決断を後押ししたのか。23歳の佐々木は契約金や年俸などの総額が制限され、マイナー契約しか結べない「25歳ルール」が適用される中で移籍。あと2年待てば数百億円規模の高額契約を得られたはずだが、佐々木の契約金は日本円で約10億円、年俸は約1億2000万円だ。そこから税金を支払い、物価が日本の数倍になるアメリカで、私的にスタッフを雇いながら生活することを思えば、さして潤沢な年俸ではないだろう。それでも早期の移籍にこだわったのはなぜなのか。
