ドジャース“出来レース”説、大谷翔平の動画、球速ダウンの原因、高3の「あの日」、ロッテファンと被災地への想い……。 

 渡米直前の今年2月、ロサンゼルス・ドジャースに入団が決まった佐々木朗希(23)が、「週刊文春」の独占ロングインタビューに応じ、本音をすべて明かした。(全2回の1回目/続きを読む)

初出:「週刊文春 電子版」2025年2月12日配信

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 渡米直前の2月6日。午前中からトレーニングに励み、午後には関係各所への挨拶回りを終え、晴れやかな表情で、192センチの偉丈夫が文藝春秋に姿を見せた。

佐々木朗希

 インタビューの冒頭、「我々、自分の雑誌の評判をSNSなどで見ては一喜一憂したり嫌な思いもしますが、佐々木選手は何百倍も、そういう思いをされてきましたよね」と声をかけると、

「僕の場合は、プロに入ってからもそうですが、高校の時から、メディアに結構厳しい扱いを受けてきたので……」

 ここ2年、こうしたインタビューを一切受けてこなかったという誤解されがちな若者は、ドジャース移籍決断の経緯から高校時代の「あの日」のことまで、驚くほど率直に語り始めた。

――今回のドジャース入りは、裏で最初から決まっていた“出来レース”なのではという声もありました。

「はい、でもまったく事実とは違います。実際のところ、一番大事にしていたのは、公正、公平なプロセス。公平になるように、外部からの余計な情報はシャットダウンしたうえで、代理人(ジョエル・ウルフ氏)と話し合いながら、一つ一つ球団を吟味していきました」

野球人生2度目の決断

――最終候補に残ったのが、ドジャース、パドレス、ブルージェイズの3球団。パドレスのオーナー家ではお家騒動が訴訟沙汰になる中、佐々木選手はドジャースに決めた大きな理由を「フロントの安定感」と会見で語っていました。

「施設がどう、選手構成がどうなるなど、フロントが最終的にすべてを決めます。そもそも、自分のことを評価してくれているのが今のフロントやGMなので、そこがコロコロ変わってしまうようだと僕自身の存在価値も変わってしまう。だから、フロントの安定感が一番大事だと考えていました」

――大谷翔平選手、山本由伸選手がいることは重要な要素ではなかった?

「日本人選手がいる、いないは特に意識していませんでした。どんな選手であっても、移籍する可能性は常にゼロではないので。誰かがいるからそこを選ぶ、あるいは選ばない、という考え方は一切なかったです」