けがを秘密にした理由
「佐々木登板回避」以後、エースに連投を強いる高校野球の監督には厳しい目が向けられるようになった。2年後の21年には「1週間に500球まで」という球数制限が設けられた。エースが、腕も折れよとばかりに1人で投げぬく風潮も甲子園から消えた。
一方、プロ入りした佐々木は、1年目は公式戦登板ゼロながら、1軍帯同を許される異例の扱いを受ける。今年1月22日に放送された「クローズアップ現代」(NHK)の中で、当時右肘周りの神経が炎症を起こしていたことが初めて明かされた。
――あのけがのことは、なぜずっと秘密にされていたのか。そして、なぜ今になって明かされたのですか。
「当時、発表しなかったのは、僕というよりも、球団の意向があってのことです。そして、2年目以降は特に誰からも聞かれることがなかったのでそのままにしていた。でも今回、日本を離れる区切りのタイミングで、マリーンズファンに向けて、自分の5年間の歩みをきちんと伝えたかったので、僕の口から本当は何が起きていたのかをお話ししました」
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「週刊文春 電子版」では、高校時代の登板回避の真相、自身の結婚観、メジャーでの苦悩から中継ぎ転向まで、佐々木朗希の独占インタビュー「サイ・ヤングへの道」計5回をすべて公開している。
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