■1985年 国際科学技術博覧会(茨城・筑波研究学園都市)

 いまから40年前の1985年、筑波研究学園都市で国際科学技術博覧会(科学万博-つくば'85)が開催された。日本では3番目の国際博覧会である。いま振り返ると、当時、東京都心とのあいだを直接結ぶ鉄道路線もなく(秋葉原~つくば間につくばエクスプレスが開通したのは、じつに20年後の2005年)、ほぼ陸の孤島だったつくばが開催地に選ばれたことに驚かされる。

 計画段階より観客の輸送手段は懸案で、結果的に国鉄(現・JR)常磐線に万博中央駅を仮設し、近隣の既存の駅とあわせて、会場とのあいだをシャトルバスで結ぶことになる。道路も首都高と常磐自動車道を直結するなど整備された。もっとも、いざ3月17日に開幕すると(開会式は前日)、自家用車や団体バスで来場する人が多く、シャトルバスも万博中央駅も利用者は予想を下回った。

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1985年、筑波で開催された科学万博。政府館のシンボルタワー前で子どもたちの放った風船を見つめる中曽根康弘首相(当時) ©時事通信社

徹夜組も含めて2万人の列がつくばにできた

 入場者数の総計も、期待された夏休み中の客足がいまひとつ伸び悩んだため、閉幕前日の9月15日(日曜日)にようやく目標とされた2000万人に達した。この日の入場者数は33万8539人と会期中最高を記録する。朝8時には徹夜組も含めて入場を待つ2万人の列ができ、協会側は9時の開場を10分早めた。人気パビリオンの入場整理券は開場直後に夕方までの分がなくなり、整理券を配らないパビリオンにも長蛇の列ができ、整理員が「もう並ばないでください」と叫ぶほどであった。

 この日は敬老の日(当時)とあって、人気パビリオンのひとつ富士通パビリオンでは、年齢が合計120歳の夫婦50組が優先入場できるサービスが実施された。入場した老夫婦の一組は、地元に住んでいて6回も来場しながら、同パビリオンはいつも長い列ができていて見られなかったのが、このサービスのおかげでようやく入れたと感慨深げに語っている。

 主催する万博協会が15歳以上の入場者にアンケート調査した結果では、60歳以上の入場者は9.2%と、15年前の大阪万博の6.1%を上回った。高齢化社会の反映でもあったのだろう(『朝日新聞』1985年9月16日付朝刊)。