閉幕前後に起きていたパニック
閉幕前夜には、午後9時の閉場前後に各駅へ向かったシャトルバスが事故の影響や渋滞で遅れたため、乗客が東京方面の終電に間に合わず、駅で足止めを食うというトラブルも生じている。万博中央駅にはシャトルバス11台分の観客3000人がたまり、一時大混乱となった。国鉄は万博協会の連絡を受け、臨時列車を出すなどして対応した。
最終日の9月16日(月・振替休日)も21万人あまりが詰めかけた。午後2時からはエキスポプラザで閉会式が招待客と整理券をもらった観客のみを入れて行われたが、周辺にはほかのパビリオンに入れない観客ら1万5000人が押し寄せ、一時パニック状態となる。
この日は閉幕のため、通常より早く午後5時に閉場したが、入場ゲートが閉まってからも窓口では入場券を販売したため、買った人たちに「なぜ入れないのか」と詰め寄られて、協会側もやむなく入場を再開せざるをえなかった。協会の報道室が入場券課に問い合わせたところ、「パビリオンが閉まっていても入りたい、というお客さんは入場を認めざるをえない」との回答であったという(『毎日新聞』1985年9月17日付朝刊)。幸運にも入場できた人は1500人におよんだ。システムより人情が勝ったということだろうか。
閉会式ライブでは5000人が総立ち、ステージに駆け寄る人も
1970年の大阪万博は、閉会式の終わったお祭り広場で、若者たちが無許可でギター演奏を始めたところ、最終的に数千人が集まって歌い踊るというハプニングで締めくくられた。それに対して15年後の科学万博では、閉会式後のエキスポプラザでアメリカのミュージシャン、ケニー・ロギンスのライブが催され、フィナーレを飾った。午後6時にライブが始まると同時に5000人の観客が総立ちとなり、クライマックスでは規制を無視した数百人がステージに駆け寄り、跳んだり跳ねたりの過熱ぶりであったという。事故が起きなかったのは幸いだった。
