しかし、このままクマに馬乗りになられたままでは、じり貧は見えている。越中谷さんはクマの脇の下に手を差し入れ、「えいっ」とひっくり返してマウントを取り返した。そして左手でクマの顎をつかんで動きを封じ、右のパンチを幾度となく見舞う。
クマの左目は眼球がぶら下がっている状態で視力は失われているのか、右のパンチはことごとく命中した。
クマは馬乗りを振りほどき、沢の脇の崖へと逃れた。
逃げないなら、やるしかない
これで逃げてくれる。越中谷さんはそう安堵しかけたそうだ。ところが立ち上がろうとしたその瞬間、予想外の展開が待っていた。
クマは逃げたのではなく、なおも襲い掛かってきたのだ。今度は上から飛びかかるように。
クマの右前足の爪が、額にめり込む。後に5針を縫うことになる額への一撃は、硬いブロックで殴られたようなとてつもなく重たい衝撃だった。さらに左前脚の爪が背中を襲う。だが幸いにも、背負っていたリュックとその中の水筒が防御壁となってくれた。
「クマは、もうどうやっても逃げないと覚悟を決めました。やらないと、こっちがやられる」そこから先、越中谷さんは自らクマに戦いを挑んでいった。
腰にはナタや山刀を携えていたが、それらを握ると手がふさがるため、素手での攻撃を選んだ。
血だらけの肉弾戦。
そのときの状況を越中谷さんは今でも臨場感たっぷりに述懐する。
「お互いに殴り合うような戦いです。ときどき、ボクシングのクリンチみたいにがっつりと組む。お互い組み合っているときは相手の攻撃を停められるから、唯一、休める瞬間でした。
私の顔の横にクマの顔がある。耳元にかかるシュッシュッシュッというクマの息遣いは今も忘れられない。どちらも息が上がっていて。
ちらっと横を見れば、クマの左目がぷらぷらと垂れ下がっているわけです。お互いに、血まみれでした」
死闘の結末
殴り合いと組合を繰り返すうちに、「自分が上になって殴らねばこの状況は打開できない」と悟る。