「いる時といない時の楽屋は空気が全く違う。まるで別世界や。俺たちはさんまにはとても敵わない」――それは、同業の芸人たちが漏らした本音だった。明石家さんまという人間は、舞台の上だけで笑いを生むのではない。楽屋という閉じた空間すら、瞬時に“お笑いの現場”に変えてしまう。

 そんな明石家さんまの芸人としての奥深さを、番組プロデューサーとして長年、公私にわたって親交を深めてきたTVプロデューサー・吉川圭三氏の新刊『人間・明石家さんま』(新潮社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

明石家さんまは「楽屋」でもすごかった(画像:時事通信)

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生きている時間は全部、トレーニングにする

 タレントによってテレビ局の「楽屋」の使い方は十人十色だ。スマートフォンを触ったり雑誌を読んだりしてリラックスして時間を潰す人もいれば、大物に挨拶するための楽屋詣でで忙しい若手もいる。人の出入りをシャットアウトして仮眠を取り、少しでも睡眠時間を確保しようという売れっ子も少なくない。おそらくこれらの過ごし方が売れっ子タレントの大半だろう。

 そんななか、明石家さんまの「楽屋」はちょっと様子が違う。約40年間、いつも独特の光景が繰り広げられている。挨拶に訪れたスタッフや共演者を前に、本番さながらの「トークショー」が繰り広げられるのである。

「おぉ、Aくん、その足の包帯どないしたんや。え、打撲? なに! おネエチャンに階段から? そりゃ災難やったな~、でもな、そのぐらいですんだんやったらええで。オレなんかな、骨折どころか心が折れてしまうことがあってな──」

「なんやて、息子さんが留年? ええんや、ええんや、人生多少の寄り道は必要やで。え? 留年4回目? 寄り道どころやないわ! 次のオリンピックが始まってしもうとるやないかい!」

 楽屋が笑いに包まれる。スタッフたちの笑い声、さらにはさんまの「カーッ」というお馴染みの高笑いが、テレビ局の廊下にまで響き渡る。まさに「さんま御殿」や「恋から」と変わらない状況が、本番さながらの高いテンションで繰り広げられる。

 さんまはよく、楽屋やプライベートでこんな言葉を呟く。

「オイラの人生は生きている時間は全部、仕事とそのためのトレーニングの場やと思うとんねん」

 この言葉には、彼の「仕事観」「人生観」が詰まっているように思う。さんまの楽屋は、まさに「仕事=収録」のためのトレーニングの場なのである。

 楽屋の話は過去に遡る。