厳罰化が行き着いた社会
本格ミステリ作家・貫井徳郎を理解したところで、改めて本書の話を始めよう。極めて大雑把にいえば、日本の司法界には“一人を殺せば死刑”から“三人を殺せば死刑”に相場がシフトした歴史がある。しかし近年、大量殺人犯が心神喪失を主張し、処罰の軽減や無罪を勝ち取るケースが増えた。これに憤る人は少なくないはずだ。
裁判員制度が無罪判決を増やした結果、再犯と思しき事件が多発し、市民感情に基づく厳罰化が進められ、単純明快な「人ひとり殺したら死刑」というルールが確立された社会。それが本書の舞台である。テーマに合わせて世相を変える着想は、小規模なテロが頻発する社会を描く『私に似た人』を彷彿させる。どちらも冷徹な視座から生まれた予見的なビジョンといえるだろう。
本書所収の五篇は初出時に「ハーシュソサエティ」の副題が付されていた。この連作は『小説推理』(二〇一一年十二月号)に載った「見ざる、書かざる、言わざる」で幕を開ける。ファッションデザイナーが両眼を潰され、両手のすべての指と舌を切られるという残忍な事件が発生した。口封じを試みた犯人が死刑になりたくないから命を奪わなかったと考えた警察は、被疑者たちの話を聞き、やがて真の動機に辿り着く。法制度への疑念で読者を誘導し、意外な解決を取り出すトリッキーな一篇だ。
第二話「籠の中の鳥たち」は文藝春秋のムック本『オールスイリ2012』(一一年十二月刊)に発表された。六人の大学生がオフシーズンの別荘地を訪れ、一人が女性メンバーを襲った浮浪者を撲殺してしまう。彼らは仲間を死刑から守るために死体を埋めようとするが、その矢先に殺人事件が発生する。クローズドサークルの不可能犯罪、消去法による犯人の指摘という定型を使い、この社会ゆえの狂気を描いた意欲作である。
著者は自身のサイトで「人ひとり殺したら死刑、という架空設定で書きました。当初はミステリー味の濃い、ゲーム小説を書こうと意図していました」と本書を紹介している。先述したように著者は本格ミステリの紡ぎ手であり、同時期に執筆された最初の二話はゲーム小説として構想されている。社会派サスペンスのイメージで読み始めた人は、予期せぬ内容に不意打ちを食らったかもしれない。
第三話「レミングの群れ」は別冊文藝春秋電子増刊『つんどく! vol.1』(一三年四月配信)に書かれた一篇。男子中学生がいじめを苦に自殺し、三人の加害者とその家族が姿を消して非難を浴びる中、首謀者とされる生徒が通り魔に刺殺された。自殺志願者の犯人が“社会のダニを殺して国家に殺してもらう”と目的を語り、ネットが肯定派と否定派に割れ、死刑が抑止力を失った社会が暴走する。大衆の挙動を冷ややかに観察するような、思考実験に徹した異色のパニック小説だ。
第四話「猫は忘れない」は『つんどく! vol.3』(一四年五月配信)に掲載された。姉を殺した犯人への復讐を誓った男が、世の少数派である死刑廃止論者の恋人と議論を交わし、満を持して犯行に及ぶ倒叙ミステリだ。第一話と第三話の事件に言及し、他人の立場から感想を述べる場面は、連作を束ねる結節点にほかならない。死刑をめぐる特殊ルールを活かし、皮肉なプロットを練り上げた犯罪小説の佳品である。
本書の表題作「紙の梟」(『別冊文藝春秋』二一年九月号、十一月号)は、前後篇の形で発表された中篇。作曲家の笠間耕介は恋人・松本紗弥からの着信を無視し、数時間後に刑事から紗弥の死を告げられる。変わり果てた紗弥を目にした笠間は、遺品に折り紙の梟があることに気付く。留守番電話には助けを求める紗弥の声が残されていた。やがて犯人を捕えたという連絡が入り、警察を訪れた笠間は衝撃的な事実を知ることになる。紗弥は住民登録をしておらず、偽造免許証を所持していた。紗弥の正体は紗弥ではなく、彼女に貢いで自殺した男の息子に報復されたというのである。