ヨットに寝転び、空に向かって眼をかがやかせている若者たちの姿
湯川の回想から高等学校時代、京大時代の林の姿をうかがうことができる。それは水泳や陸上の競技に優れ、颯爽として、「よく汗をかくたちで、いつ会つてもひたひや鼻の下などにつぶつぶの汗を出して、それを腰にさげた汚い手拭でぬぐつてゐた」り、「肩幅はがつしりして肉附きもよく、堂々たる体格」であり、「身長とは不釣合に発達した胸の筋肉を揺り動かし乍(なが)ら歩いてゐた」姿である。
林は海洋訓練部の主将として博多湾をヨットで航行した。湯川は星の名前に詳しかった林が夜空を見上げて、星や星座の名前を教えてくれた日のことを思い出すと、「涼しい夜風を切つて快走するヨットに寝転んで、空に向つて眼をかがやかせてゐる若者達の姿」まで想像してしまうのだ。または「田舎では自分は賞(ほ)められ者で、『林さんの市造しゃんを見てんしゃい』とよく言はれてゐた」などと話していた林に、「素朴な、牧歌的な生活の名残りは大学生となつた彼の身のまはりになほただよつてゐた」と感じたのだ。
こうやって学生時代の林の様子を紹介したのは、実に素朴で健康な若者が内面には死の葛藤を抱え、戦地に赴いたということをあらためて知ってほしかったからだ。戦争という非常事態を前にしても、彼らは日々の生活のなかで生を充実させようとしていた。
死を見つめる耐えがたさ
湯川の本には林の姉、加賀博子(かが・ひろこ)から湯川への手紙も収録されている。母親はなぜか「陸軍ならば内地勤務、海軍ならば外地」と思ったらしく、志願せずに徴兵を待ち、陸軍に行って欲しいと伝えたが、林は「陸軍の横暴が気に喰わない、もし陸軍のような所へ行ったらゴボー剣で自殺するような事になるやも知れぬ」と答えた。姉によれば当時の若者にしては珍しく、林は一度も軍人になるとは言わず、「ボクは軍人大好きよというような歌」も歌ったことはなかったという。
やがて林も他の同世代の若者と同じように学徒出陣となり、入営することになる。湯川はその時の林について「同じ運命を持つた友達がよく林の所に集つて出陣の話をしたが、『死ぬのはいやだ』といふ者も比較的多い中に、林はそれに就ては何にも語らなかつた。素直に、純情に自らの運命を受けて出陣した」と書く。
