Co.慶応 私立なので受験が早めに終わって春休みが暇すぎるなと思っていた時に、たまたまテレビ「B-RAP HIGH SCHOOL」の第1回放送を見たら面白くて、番組の最後に募集告知も出ていたので「やってみようかな」と。

——自作ラップを送った?。

Co.慶応 最初は「履歴書を持ってきて」と言われて、履歴書を持ってテレビ局に行きました。その前に書類審査もあったと思うんですけど、「とりあえずみんな来てみれば」というゆるいスタンスだった気がします。いろいろ話しながらディレクターが「こいつはこういうキャラで使えそう」とピックアップする感じでしたね。

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——Co.慶応という名前はその時に?

Co.慶応 僕の本名は「高」と書いて「タカ」と読むんですが、履歴書を見たディレクターに「お前『コウ』っていうんだ。慶應にも受かってるのか」と言われて。それで2回目に呼ばれたら、当時人気だったSteady&Co.というラップグループに掛けて「Co.慶応ってつけといてあげたから」と収録の時に言われました。台本にももうその名前で書かれていて、変更してもらえる雰囲気じゃなかったのでそのままCo.慶応になりました(笑)。

——かなりテレビ局の演出も入っていたんですね。初登場で披露した「お勉強ラップ」は自分で作られたんですか?

Co.慶応 ラップは作ってくれないので、自分で作るしかないんですよ。「慶応だし勉強っぽい感じで何か作ってみて」と言われて、1週間くらいで作った気がします。Dragon Ashの曲を選んだのもたまたまでしたけど、そのまま採用されました。その後も1年間ラップは自分で作りましたけど、ラップの間に入れるしゃべり部分の方が難しくて、そこは放送作家さんに手伝ってもらったりしましたね。

「ガードも厳しくてジャニーズはすごいなぁと思ってました」

——収録現場の雰囲気はどうでしたか。

Co.慶応 収録前日には深夜までディレクターと準備や打ち合わせをして、夜はみんなで近くのカプセルホテルに一緒に泊まりに行ったり。楽屋も出演者みんな同じだったので、わいわいやって合宿みたいな感じで楽しい現場でしたね。

 

——V6のメンバーとの接点はあったのでしょうか。

Co.慶応 直接はほとんどなかったですね。V6の皆さんは僕たちが収録するスタジオの隣の部屋にいて、モニターで見てくれている形でした。収録の前後にすれ違って「お疲れ様でした」と挨拶するくらいはありましたけど、ガードも厳しくてジャニーズはすごいなぁと思ってました。