「親には番組に出ることも伝えてなかったし、番組について話した記憶はほとんど…」
——番組が始まると反響も大きかったのでは?
Co.慶応 大学に入学してすぐ、4月の10日頃に最初の放送でした。最初は自分でもそこまで大したことをしている意識もなかったのですが、だんだん大学内とか電車の中とか、街を歩いていても声をかけられるようになって。サインを求められることもあったんですけど、自分の名前しか書けないのでカタカナで「コーケイオウ」と書いてました。
——家族の反応は?
Co.慶応 当時は反抗期で、親には番組に出ることも伝えてなかったし、番組について家で話した記憶はほとんどないですね。何回か出たところで親ネットワークで情報が入ったみたいですけど、親も僕がそういう話をされるのが嫌だとわかっていたようで、何も言ってきませんでした。でも後で気づいたら、出ている回を全部録画してくれていてちょっと恥ずかしかったですね。
——有名になったことで、生活に支障などはありましたか。
Co.慶応 「学校へ行こう!」に出るのが楽しくてあまり学校に行かなくなってしまって、留年しました。ちゃんとやろうと思えばできたんでしょうけど、少し堕落して遊び呆けてしまいました。最低限の単位だけ取っていればいいや、という感じで。
——派手に遊んでいたんですか?
Co.慶応 それが全然で、今思えばもっと派手に遊ぶなり何かできた気はするんですよね。当時の状況は「すごく貴重なチャンスが目の前にあるはずなのに、その価値に気づいていなくて何もできなかった」という感じ。今で言う「バズっている」状態に近かったと思うのですが、SNSもなかったので番組が終わった後も自分のファンになってもらうような誘導はできなかったし、もったいなかったなぁと。それでも、ベルファーレのような大きな会場で数千人の前でパフォーマンスできたのは貴重な経験でした。
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