ギネス世界記録に認定された“世界最小”の恐竜の卵化石を発見した田中康平博士。2021年には、NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』に番組スタッフである従兄弟とともに出演し、「とも君」と「こう君」として軽妙な掛け合いを見せたことも広く話題になった。
かつての“恐竜好き少年”は、どのようにして“恐竜博士”となったのか。カナダでパンクロッカーと同居した留学時代から、研究者としての日常まで、人間味あふれる博士の素顔に迫った。(全2回の1回目)
恐竜博物館に電話で進路相談をして、北海道大学へ
――幼い頃は、どんなお子さんでしたか?
田中康平(以下、田中) 子どもの頃から恐竜がすごく好きでした。小学1年生のときに、知り合いから古くなった絵本をたくさんもらってきたんです。その中に恐竜の本が1冊あって、毎日のように眺めているうちにだんだんと好きになっていきました。
当時は恐竜が何かなんてわからなかったけれど、変わった形をしていることに惹かれたんだと思います。それ以外には昆虫採集をしたり、植物を見たり。自然が好きな子どもでしたね。
――そこから恐竜博士に至るまで、どのような過程が?
田中 恐竜研究者になることは、小さな頃からの夢でした。星も好きで中高時代には天体観測ばかりしていましたが、進路を考える段階で天文学は私にはできないと思ったんです。星を眺めるのは好きだけど、研究となるとパソコンとにらめっこして、難しい計算を解いたりするのは私には無理だと。
それよりも実際に発掘へ行ったり、化石を調べたりすることに興味があったので、恐竜研究ができるところに進みたいと思っていました。
――具体的に、どう動いたのでしょうか?
田中 当時はまだ、日本の大学に恐竜を研究されている先生がいらっしゃらなかったんです。ちょうど福井に恐竜博物館ができた頃だったので、ドキドキしながら「どこの大学を選べばいいですか?」と電話で相談したところ、「いくつかの大学で古生物学が勉強できるよ」と教えてくださって、その中の1つが北海道大学でした。
なんとなく“北”への憧れもあり進学先に選んだら、私が大学2年生のときに、恐竜博物館の小林快次先生が着任されたんです。“待っていたら恐竜博士が大学に来てくれた”という超ラッキーなパターンでしたね。
