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2018/07/27

宮本監督就任へのいくつかの疑問

 今回、宮本監督の断を下したのは山内隆司社長であり、梶居勝志強化部長だが、梶居はセホーン監督時の山本強化部長の下におり、その一部始終を見てきたはずだ。前回はうまくいかなかったが、今回はうまくいくと考えているのだろうか。百歩譲って宮本監督就任が「最後の一手」であれば、なぜロシアW杯によるJリーグ中断前にクルピを解任し、2カ月の猶予を新監督に与えなかったのか。補強についても何も聞こえてこない。そうしたタイミングの遅れと、トップの優柔不断さは、セホーンの時と何も変わっていない。

 宮本は、きっと松波と同じ気持ちで引き受けたのだろう。

 なぜ、このタイミングで自分なのか、理解できなかったはずだ。だが、「君しかいない。全力でサポートする」、そう言われればガンバOBである、やらざるをえない。フロントはこれで2度もクラブの宝といえるOBに火中の栗を拾わせた。チーム作りのビジョンも見えず、クルピ招聘の失敗を含め、この責任は非常に重い。

学んでいる最中だった宮本

 新監督の宮本は、DFらしく慎重な人物だ。“宮本恒靖”というスタイルをピッチの内外で崩さず、監督としての戦術を徹底してやり遂げる頑固さを持つ一方、どんな選手に対しても聞く耳を持つ。近寄り難いタイプではないが、選手との間には一線を引いている厳しさがある。また、酒が入ると明るくよく話をし、カラオケもうまい。ちなみに現役時代の人気は半端なく、自らの写真集を2万部近く売り切った伝説を持つ。

2005年、最終節で劇的な初優勝を決めたガンバ。西野朗監督(右)に労われる宮本 ©共同通信社

 指導者としての力は未知数だが、選手としての経歴は素晴らしい。日本代表の主将としてW杯2大会に出場し、ガンバでは2005年のJリーグ初優勝に貢献した。2007年からはオーストリアのザルツブルクでプレー、海外移籍も経験した。2011年に現役引退したが、その後のキャリアも普通のサッカー選手とはずいぶん異なる。

 FIFA(国際サッカー連盟)が運営する大学院「FIFAマスター」を修了し、Jリーグの理事を務めるなど、ピッチの内も外もよく理解している。ガンバに戻って来てからはU-11を始めユース監督、さらに昨年はJ3でガンバU-23を率いて戦った。今シーズンは、U-23を継続して指揮しつつ、トップチームの現場を肌で経験するためにコーチに就任し、学んでいる最中だった。

 その矢先での監督就任である。

 本音を言えば、もう少し現場の経験を積み、ガンバの世代交代が終わった後、満を持して監督デビューを果たしてほしかった。宮本恒靖はガンバだけではなく、将来の日本サッカー界を支える重要な人材でもあるからだ。

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