労働者は、もう少し高い賃金を求めて雇用者側と交渉するかもしれない。しかし、この交渉が上手くいくとは限らない。
この労働者と同じような貢献をすることができる「取り替え可能な労働者」が他にもたくさんいて、彼らが1日1万円でも雇ってほしいと思っているなら、雇う側には取り替え可能な労働者を選ぶ選択肢がある。賃金を上げなければならない必要性は乏しい。
会社側は、なるべくこのような状況が可能になるように、社員の仕事の設計を行うだろう。「ずるい!」と言いたいかもしれないが、これは普通の経営努力だ。
一方、働く側から見ると、自分自身が「他人と取り替え可能な労働者」にならないような工夫が必要だということだ。労働者に限らず、工夫のない人は損をする。これは、責任論以前の経済の現実だ。他人と同じであることを恐れよ。無難を疑え。
資本のプールに貯まった利益を取り合うに当たって、銀行など資金を提供する側の立場が強ければ債権者の取り分が多いだろうし、銀行同士が競合するなどで立場が弱い場合は、株主側、つまり資本家側の立場が強くなるだろう。力関係は、状況によって変化する。
なお、安全を志向する債券の保有者や、絶対に回収できるような条件の下に低利の融資を行う銀行なども経済全体から見ると「リスクを取りたくない参加者」だ。彼らが諦めたリターンを、リスクを取ってもいいと思って資本を提供している資本家が手にする。
経済は「適度なリスクを取る者」にとって有利にできている。大事なことなのでしっかり覚えておけ。
資本家をカモにする「労働者タイプB」の出現
先の図1には、単に「労働者」ではなく「労働者タイプA」という表記があった。実は、少数ながら「労働者タイプB」が存在するのだ(図2)。
彼らは「経営ノウハウ」、「複雑な技術」、「財務ノウハウ」など、資本家が理解できない「Black Box」を会社の中に作って自らの立場を強くして、主に「株式性のリターン」の形で、本来なら資本家に帰属したかもしれない利益を巻き上げていく。高額な報酬を取る米国企業の経営者などがその典型だ。現代は、資本家も油断できない時代なのだ。



