「人買い」「奴隷市場」……大バッシングに『スタ誕』がとった対応
しかし、ずらっと数十人が居並ぶスカウトに10代の若者が1人で対峙してプラカードが上がるかどうかを待つという絵面は、それ自体がネガティブに捉えられる危険性をはらんでいた。
スカウトとなれば、ビジネスの話に直結する。とりわけ芸能ビジネスは、成功すれば見返りは大きい。しかしそれはギャンブル性が高いものと一般的には認識されていて、歌手になりたいという若者の純粋な気持ちを利用、言い換えれば心理的に搾取しているとも視聴者の側からは解釈できる。その意味では、「人買い」というバッシングは、表現に悪意がこもっているとはいえ、出てくるのもわかるところがある。
このバッシングは、『スタ誕』に限らず、オーディション番組というものが本質的に内包している二面性を示しているといえる。
オーディションは、受験者一人ひとりにとっては競争である。オーディション全体をテレビ番組にすることは、この競争の透明性、ひいては公正さを確保することにつながる。少なくとも阿久らスタッフはそのような理想を掲げ、番組のフォーマットを決めた。
だが一方で、それは受験者を過酷な試練の場に立たせることにもつながった。しかも多くは10代の若者。彼ら・彼女らは審査員やスカウトという大人たちの厳しく容赦のない視線にさらされ、ビジネスの場にいや応なしに巻き込まれることになる。とりわけ森昌子の場合はまだ13歳ということもあって、なおさらそういう印象を与えただろうことは想像に難くない。
こうしたバッシングへの対応、さらに合格者たちへの精神的ケアという意味合いもあったのだろう。やがて『スタ誕』では、スタッフや審査員、出演者、そして出身歌手もみな「ファミリー」であることが強調されるようになった。
番組開始から10年の時点で開かれた座談会では、「スタ誕!ファミリーはますます健在だ」とうたわれ、それにまつわるエピソードが披露されている。
