おニャン子、モー娘。、AKBにつながる「基盤」となった

 たとえば、森昌子と岩崎宏美が修学旅行で2人だけでお風呂に入ったこと、新沼謙治が寂しくなって渋谷哲平に電話したことなどだ。所属事務所の枠を超えた『スタ誕』出身者同士のプライベートでの絆、ほほ笑ましいエピソードが明かされる。しかも座談会には、歌手本人だけでなく森昌子と渋谷哲平の母親も出席した。

 進行を取り仕切るのは池田文雄で、私生活の様子を聞き出しながら、ときには親身になってその場で悩み相談を始める。この雰囲気からも、疑似家族的関係性が意識されていたことが伝わってくる。

 ほかのところでも、「優しく包み込んでくれる“私の故郷・私の親”」(桜田淳子)、「スタッフの皆さんが私の家族」(岩崎宏美)など、これを物語る文言には事欠かない。

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森昌子に刺激を受け、自身も『スタ誕』からデビューを決めた岩崎宏美 ©文藝春秋

 また出身歌手同士の横の関係性では、学校のクラス的な一体感もあった。

 その基盤を作ったのは、やはり「花の中三トリオ」だろう。3人は正式なグループとして活動したわけではないが、結局「花の高三トリオ」まで続き、最後は「卒業コンサート」を開催した。そこにプロモーション的な思惑があったとしても、クラス的な一体感が出身歌手にとって芸能界を生きるうえでの精神的な基盤になっていただろう。

 これは今後さらなる検証を要することではあるが、すでにそこにはのちの大人数アイドルグループの隆盛につながる要素、すなわちアイドルグループの学校化を予感させるものがあったようにもみえる。1980年代のおニャン子クラブしかり、90年代以降のモーニング娘。しかり、2000年代以降のAKB48や乃木坂46しかりである。

次の記事に続く 渡辺満里奈、工藤静香ら含む「ほぼ素人」の集まりが伝説級グループに…「おニャン子クラブ」がアイドル史を塗り替えられたワケ

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