「あれから50年経つが、私はいまだにモールスを打てる」

 館内で会った王根深は、長身のダンディな人物だった。もともとミャンマーのミッチーナ生まれの華人で、彼の出生時には大陸の中華民国はすでに滅んでいたのだが、教育は中華民国式。家庭はヒスイ鉱山で成功して裕福だったみたいだが、民国への愛国心が強く、数え年15歳でこっそり家出した。そして、この年にできたばかりの光武部隊に入軍した。

 緬北孤軍はこの時期すでに、ミャンマー政府の反発や国際社会の圧力を受けて、表向きは中華民国の正規軍ではなくなっている。2度の台湾への撤兵勧告で人数も減り、形式上は民間の義勇軍の扱いになっていた。だが、当時はまだ中国大陸への反撃を諦めていなかった民国政府が、中国国内に対する特殊工作や情報工作を目的として1965年に設立したのが光武部隊だ。王根深は入隊後に情報工作に従事した。その後に台湾に移ってからも、しばらく中華民国のインテリジェンス部門にいたようだ。

館内にあるマシンガンを撃つコーナーで、鉄兜をかぶって射撃ポーズを取らせてもらう私と、撃ち方を教えてくれる王根深館長(左)。元特殊部隊なのも納得のシャープな目つきだ。

「光武部隊にいた時代は、なんども中国大陸に潜入した。山奥に隠れてモールス信号を打つ。あれから50年経つが、私はいまだにモールスを打てる」

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 王根深はそう言う。彼らが潜入していたのは、文化大革命まっさいちゅうの中国雲南省だ。雲南省とミャンマー北部の国境地帯は険しい山岳地帯で、密出入国が容易である。

「なんで彼らと殺し合っているんだろう」

「ライター型カメラは、標的の顔を撮影するのに使う。中共の幹部にタバコを貸すフリをして撮る。これで顔の特徴を正確に捉えられるから、後日に別のヒットマンが暗殺しやすくなる」

「サングラスは重要だ。外してレンズを拭くふりをして、レンズを鏡がわりに尾行の有無を確認できる」

「歯磨き粉チューブ型の暗殺薬を使うと、相手が呼吸不能になって死ぬ」

館内展示の一部。歯磨き粉型の暗殺毒針と、暗殺用小型ピストル。本当に使っていたらしい。筆者撮影。

 ただ、博物館の3番目の部屋のコンセプトは「迷う」である。この部屋には、現地で当たり前のように流通していたアヘンの煙管やパックが展示されているのだが、別の含意もある。光武部隊の兵士や工作員たちの迷いである。

「殺すべき敵だとされる相手は、言葉(雲南方言)も完全に自分たちと同じ。外見も同じだ。なんで彼らと殺し合っているんだろう。みんなそのことで迷っていた」

 なので、この博物館はあくまでも平和のために設立している。王根深はそう話す。

 往年の激しい戦いと作戦で、光武部隊の訓練同期の仲間68人のうち、生き残ったのは2割だったという。光武部隊の活動は1975年まで続いたが、やがて台湾の国連脱退や米中接近で継続が難しくなり、生き残った隊員は台湾に移り住むことになった。