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もちろん、こうした諜報網の存在は中国側も認識していた。陳克江はこう話す。
「わしは台湾に移り住んでから、会社をやってな。1980年代末に仕事で中国大陸に行ったら、官憲に捕まった。『光武部隊に参加していただろう?』と。向こうは知っていたんだ。その後、『両岸(=中台統一)のために協力しろ』と言われ、祖国の発展を見ろとミサイル基地を見せられた。『またいつでも来い』と言われたので、『謝謝』と言って帰ってきたがね」
「いまでも悪夢を見る。みんながそうだろう」
やがて、場が進むほどに光武部隊の老人たちの話は厳しくなった。
陳:「台湾で普通の社会に入ってからも、最初は慣れんかったなあ……。戦友が腹を撃たれて、目の前で母親の名前を呼びながら苦しんでいるのに、上の命令で見捨てて撤退したりした。いまでも思い出す」
王:「いまでも悪夢を見る。みんながそうだろう」
陳:「わしは隠れ家でモールス信号を必死で打っている夢をよく見る」
王:「私もだ。あとはマシンガンを撃っている夢だ。撃っても撃っても敵が死なない。襲いかかってくる。おそらくこの夢を一生見るだろうな。戦争はよくない」
スパイと戦争。これまで日本には縁遠かった話だが、そう言ってはいられない時代が近づいている感覚もある。本当の戦争の怖さと平和の大切さを知る。台湾にはそんな場所もある。

