心は既に定年している
職業によっては、ある年齢を超えたら、ことさらインプットしなくてもそれまでの蓄積でやっていける、ということはあると思います。稲田さんのような文筆業の場合、インプットをし続けないと、向上どころか現状のキープすらできないので難しいでしょうが。
それができないなら、解決策は子育て自体をインプットにする、つまり子育てをアウトプットのネタにするしかありません。編集者ならさしずめ「絵本を作る」「育児書を企画する」でしょうか。でも、そんな簡単に部署異動できるわけでもありません。
近頃の書籍編集者としての僕は、30代の頃とはかなり違うスタンスで仕事をしています。以前はノンフィクションであれば、それこそなんでもやっていましたが、今は手掛けるジャンルを絞っているんです。といっても、育児書や絵本を作るというわけではなくて、今まで作っていたものよりは視野角を狭めているということ。アンテナを張りまくって限界まで興味の範囲を広げるというよりは、強く興味を惹かれたテーマだけを、じっくり腰を据えて深掘りしていく。そんな感じです。
30代の頃の僕の仕事のあり方は、「世の中の問題はこうで、これがこういうふうにいい方向に行くためには、こういう本を出したほうがいいんじゃないか」という仮説を立ててから取りかかる、というものでした。文字どおり、全ジャンル・全分野を見渡した上で、問題の在りかをサーチする。これは地引網みたいなもので、大量の情報をいったん全部取り込んで、それを机にばーっと広げて、これと、これと、これ……みたいに選別するんです。
でも、今はもう一本釣りです。この辺かな? と当たりをつけて、ピンポイントで釣り糸を垂らす。第二子が生まれて以降、インプットの時間が減ったのもありますが、やはり30代のときほど自分の感性がキレていないからですね。まさに「心の定年」状態ですよ。
すべては手に入らない
「なぜ子供が欲しかったのか」と問われたら、答えに困ってしまいます。子供と遊びたかった、のかな? (数秒の沈黙)うん、それくらいかな。当時は子供を作ることのリスクもデメリットも、まるでわかっていませんでした。
でも、「なぜ」を考え始めたら、身がもたないわけですよ。もたないからこそ、世の中が少子化になっているわけで。前もって完璧に計画してからじゃなければ子供を作れないのだとしたら、持つ人は減って当然です。そればかりは、詰めて考えないほうが踏み切れる。
その結果、黙って仕事上の達成目標を下方修正するか、家庭を破綻させるかの二択を迫られる。僕は、結果的に後者を選ぶことになってしまいました。
上の息子は今12歳ですが、僕が家を出たことについて、たぶん納得はしていないと思います。両親が別々に暮らしている状態が子供たちにとっていいことだとは、もちろん思いません。
ただ一方で……これは僕が子供たちに対して言う言葉ではなくて、僕が僕の人生を考えたときに思っていることですが、すべては手に入らないんですよね。「すべて」の中には当然、「仕事」と「親であること」が含まれています。
すべてが手に入らないときに、何を捨てて何を取るのか。それが人生なのだと、日々痛感しています。