第一子、上の息子は「幼稚園に入るまでは家で子供の面倒を見たい」という嫁の希望を汲み、そうしました。3歳になって幼稚園に入園すると、そのタイミングで嫁はパートに出るようになり、2年後に下の子が誕生。すると「パートではなく、栄養士として正社員で働きたい」と言い出しました。

 嫁の中にはずっと、ある種の後ろめたさがあったんです。「私は中学まで優等生だったのに、いい大学にもいい会社にも入れなかった。せめて正社員じゃなきゃ一人前じゃない」って。生真面目なんですよ。その生真面目さが、彼女の自己肯定感を下げていったわけですが。

ロジカルなソリューションの提案

 彼女の中にはずっと、「正社員として働いていない自分は不甲斐ない」という気持ちと、「でも母親として子供の面倒を見なければ」という責任感が同居していました。なんなら、「子供を作り、母親になってこそ一人前」という気分もあったと思います。実は下の息子が生まれたとき、そんなアンビバレントな心理状態がたたって、嫁は産後うつになってしまいました。

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 僕は「子供見てるから、外出てきなよ」などと提案していましたが、「行くところがない」「会う人がいない」「お金を使うことに罪悪感がある」と言うばかりで、なかなかうまくいかない。それで、今思えば僕が悪かったのですが、僕はそのとき、本作りに没頭するあまり、彼女のつらい胸中を十分に聞いてやれていませんでした。

 僕がしていたのは、ただ正論を述べることと、解決法の模索です。つらいなら保育園に入れればいいじゃない、それで母親の義務を放棄したことにはならないよね、外でお金を使うことに罪悪感なんて感じる必要はないよ、カルチャースクールか地域の集まりにでも入ってみたら話し相手ができるのではみたいな。

 でも、彼女が求めていたのは、そういう「ロジカルなソリューションの提案」ではありませんでした。もっと、気持ちに寄り添うことだったんです。

 嫁との心の距離は、その頃から離れ始めていたように思いますが、とにかく下の息子は1歳で保育園に入り、嫁は栄養士の仕事に正社員として復帰しました。

 嫁とのコミュニケーション不全が3年ほど続いたところで、新型コロナのパンデミックに突入しました。お話ししたとおり、僕は仕事が思うようにできなくなって鬱屈し、「戦えない」という焦りや不機嫌が、嫁への態度にも出てきてしまいました。

 別居を提案してきたのは嫁です。2年くらい前ですね。僕は抵抗することなく承諾し、自宅マンションを妻子に明け渡して、家を出ました。今は隣の駅でひとり暮らしをしています。

 子供のこともあるし、離婚はしていません。子供とは隔週ペースで会っています。妻子に生活費を渡すと僕の年収は300万円くらいになってしまいますが、不満はありません。再婚する気はないし、特に欲しいものもありませんので。もう43歳ですし。