「うちの子はどこへ行ったのか」――。1890年代のオーストラリアで相次いだ“養子縁組”の裏に潜んでいたのは、金のために幼い命を奪う冷酷な夫婦だった。
金のために、12人のもの子どもの命を奪った凶悪な夫婦に下された罰は……。文庫『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)
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判決は…
1893年3月から裁判が始まった。
夫婦の弁護人は、子供たちは全員が病気による死で被告が問われるべきは死体遺棄罪のみであると主張する。実際、彼らが殺した物的証拠は何もなかった。が、いったん逮捕されたものの起訴されなかったメイキン夫妻の娘らが「死んだ赤ん坊の首に衣類が巻き付いているのを目撃した」「母親はウソばかりついている」などと証言。陪審員らはこれを重くみて同月8日に有罪判決を下した。
納得のいかないメイキン夫妻が控訴したものの、裁判官は「あなた方は利益のために幼児たちの命を奪い、この極悪で地獄のような取引を行っていた」と断罪し控訴を棄却、2人に絞首刑を宣告する。それを聞いたサラは「ああ、私の赤ちゃん。ああ、私の赤ちゃん」と叫び法廷で倒れたという。
