――今も補聴器を使っているんですよね。
小林 そうです。耳たぶを作る手術はしましたが、高度難聴が治ったわけではないので、4歳からずっとカチューシャ型の補聴器を使っていて、今は軟骨伝導補聴器といって、耳掛け式のものを使っています。
学校ではしゃべり方を笑われたり、心無い言葉を言われたことも
――保育園に通うようになって新たに感じたことはありますか。
小林 はじめて大量の子どもを見たので、「自分と同じくらいのサイズの人がいっぱいいる!」と、慄いたのを覚えています(笑)。それまでは家と病院の往復で、周りは大人ばっかりだったんで。
そこで、保育園の子たちから向けられる視線や言葉で、自分は他の子と違うんだと、初めて感じました。
――周りの子は、小林さんの病気は理解していた?
小林 小学校の時は先生から皆に説明をしてくれましたし、周りにもサポートが必要な子がいたので、互いの困りごとを共有して助け合うような環境でした。
でも、それを知らない上級生や下級生から、見た目でからかわれることは全然ありましたね。
――どういったことを言われたか覚えていますか。
小林 廊下を歩いていたらわざわざ教室から飛び出してきて、「あの子やで。あの鼻の変な子やで」とか。で、話しかけられて返したら、私は滑舌が良くないので、そのしゃべり方を笑われたりとか。
――腹だたしいですね。
小林 心無い言葉を言われるのはしんどかったです。また、そういう子に限って先生の前ではいい顔をするタイプだったりして。
――ずる賢いタイプ、いますよね。
小林 かといって、いじわるされたことを先生に言う勇気もなかったので、そういうところも見抜かれて、いろいろ言われたのかなと思います。
あと、周りからの言動だけじゃなくて、私は噛む力も弱いし噛み合わせも悪いので食べるのがすごく遅くて、給食の時間内に食べ終わることがほぼなかったんですね。それで、一人だけ5時間目の授業が始まる直前にやっと食べ終わる日も多くて、ストレスでした。
――食べることが大変なメニューも?
小林 咀嚼機能が弱かったから、お肉とかすごい嫌いやったんですよ。なので、食べやすい麺類は好んで食べてました。
口蓋裂の手術後に上顎に小さな穴が開くことがあるんですけど、そこから鼻にご飯が漏れることもあって。私の穴はそこまで大きくなかったからご飯粒くらいでしたけど、人によっては鼻からうどんが出たとか、そんな話も聞きます。
子どもの頃はストローで吸い込むのも難しくて、マクドナルドのシェイクを飲めず、がぶっと食べちゃう方が早いっていうこともありましたね。



