――そうなんですね。
小林 手術を受ける前のあの時間が嫌なだけで、終わってしまえば、痛かろうがしんどかろうが、「今から手術せなあかん」って気持ちを感じなくていいっていう解放感で、わりと楽観的やったんです。
入院中は親も「マリア様かな?」ってくらい優しくなるので(笑)、「今度何買ってもらおうかな」とか、そういうご褒美狙いで頑張っていたから、幼少期はあんまり大変っていうのはなかったです。
中学生になって外見に対して悩むようになった
――手術を重ねて見た目や機能性が向上することで、気持ちも上向きになっていった?
小林 小学生の時はそこまでまだ考えが至ってなくて、とにかく目の前にあるタスクをこなしていくような感覚でした。
見た目について爆発したのは、中学になってからです。小学校の時から『ニコラ』とか『ピチレモン』とかの雑誌は読んでいて、「出てる子ら、全然自分と顔違うやん」という思いはあったんですけど、「でも、モデルさんやしな」くらいの意識だったんですね。
それが中学生になると、周りの女の子たちがメイクを覚え始めて、「このリップいいよね」みたいな話をするんですけど、当時は唇の輪郭が今みたいに良くなかったので、私がリップを塗ると余計に傷痕が悪目立ちして。
メイクせんほうがマシな顔ってなんやろ、みたいな。何をやっても全部、口唇口蓋裂のせいでうまくいかへんっていうのが、自分の病むポイントやったなと思います。
――中高生の時って、ルックスでクラスのヒエラルキーが決まっていくところがありますよね。
小林 それまでは遊んでて楽しいってだけで友だちになれていたのが、「あの子かっこいいな、かわいいな」っていう見た目で人間関係ができあがっていく場面が多かったんですよね。
で、自分がそこに含まれてないと分かった時、病気を持っている私には居場所がないのかもしれない、と思ってしまったんですよね。
当時は両親もケンカしがちで相談できる人もおらず、そのうち、シャワーで音をかき消して、泣きながらお風呂場でリストカットをするようになっていきました。
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