最後に着せてあげたのは「白い死装束」ではなく……

 保雄は最後の最後の時までしゃれた装いで通した。人と会う時、下半身は布団で隠し、上半身の見える部分は普段と同じ洋服を着ていた。寝たきりになっても、前開きの花柄のシャツにカラフルなセーターで通し、3日に一度ほど着替えをする時に看護師から「こんな高級なシャツ、着替えさせるのは緊張するわあ」と言われても、「いえいえ、普段着ですから」と笑わせていた。

 だから旅立ちの装束は、お決まりの白い死装束ではなく、最後までおしゃれでセンスのいい保雄で送りたいと思っていた。お気に入りのポール・スミスの花柄シャツと紺地にレインボー・ストライプの入ったセーター、茶色のコーデュロイパンツ。木林さんに手伝ってもらい、着せていく。

 お供として棺に入れるため、海外から取り寄せて滅多に着ないほど大事にしていたTシャツ2枚と、寒がりだったから還暦のお祝いに私がプレゼントした、これもポール・スミスのマフラーと花柄のストールを用意した。靴下もポール・スミスの新品を履かせた。

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 亡くなったことをケアマネの高梨さんに連絡すると、すぐに細かい手配をしてくれて、レンタルのベッドや機材は間もなく業者が引き取りに来た。お悔やみの言葉のあと、片付ける前に、彼らはこれ以上丁寧にできないのではないかと思うほど優しく、保雄をベッドから降ろして布団に寝かせてくれた。

 がらんとしたリビングに入院するまで使っていたマットレスを敷き、最後まで手放さなかったダウンの掛け布団をかけて、保雄は病気になる前と同じように眠っている。命が消えたあとは、がんで亡くなった人特有の、目が落ちくぼみ頰がこけた顔だ。本当に保雄なのか。布団の脇にへたり込み、私はずっと見つめていた。

 気が付くと、そばに私の母と弟夫婦が来てくれていた。いつどうやって連絡したか、全く記憶にない。「おねえさん、お疲れさま」と義妹に声を掛けられて、我に返った。弟に「葬儀はどうするの」と聞かれ、そうか、もうひと仕事あるんだ、と思い至った。


 発症から約半年で夫の命を奪った「原発不明がん」とは、一体いかなる病気なのか――? その後、医療関係者への取材を行い、治療の最前線に迫るとともに、希少がん・難治がんで困った際の最後の拠りどころとなる相談窓口にたどり着いた著者。その詳細については、『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』に収録されています。

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