ある日、夫が原因不明の腹痛に襲われ、原因を特定できないまま衰弱していった末、3ヶ月を経て判明した病名は「原発不明がん」、そして余命はわずか数週間だった――。
国民病とされる「がん」。その中には、発生率が低い「希少がん」や治療が困難な「難治がん」といったものも存在する。もし家族が罹患した場合、私たちはどう向き合うべきなのか。
書評家の東えりかさんが、夫・保雄さんが原発不明がんを発症し、亡くなるまでの約160日間を記した『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)から、グルメだった保雄さんの“最後の食事”のようすをお届けする。(全4回の3回目/続きを読む)
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グルメに目がない夫だった
保雄の趣味の一つは食事だ。グルメと言ってもいいと思う。美味しいものに目が無く、どこかで情報を聞きつけると、評判が良いから食べに行ってみようといつも誘ってくれた。
値段に見合わない味の店にはきちんと意見を言う。行きつけの店でもはっきりと「これは美味しくない」と伝え、どこをそう思うのかも説明した。気に入った店はとことん贔屓にして、定期的に通っていた。お酒も好きで、食事のジャンルに合わせて自分で選ぶことを好んだ。
自宅でもそうだった。仕事から帰宅して食卓につくと、「今日の料理に合うお酒は何かな」とまっさきにそれを尋ねる。私の手料理でも一定のレベルに達していないと機嫌が悪くなる。気に入らない料理だと「舌がバカなんじゃないの?」と平気で言い放つ人だった。
ビール、日本酒、焼酎、ワイン、泡盛、蒸留酒といろいろな酒を揃え、料理の種類だけでなく、季節や素材を考えて、その食事に合うものを選ぶのが楽しみだったようだ。保雄亡き後、ワインセラー2台に満杯のワインが残された。
倒れて以降、食べることを禁止されたのはつらかったと思う。最初は水すら禁止されていたから、「舌で味わえたのは歯磨き粉の味だけだ」と寂しそうに話していた。駒込病院で好きな飲み物を飲んでいいと言われた時は、本当に喜んでいた。
