ある日、夫が原因不明の腹痛に襲われ、原因を特定できないまま衰弱していった末、3ヶ月を経て判明した病名は「原発不明がん」、そして余命はわずか数週間だった――。

 国民病とされる「がん」。その中には、発生率が低い「希少がん」や治療が困難な「難治がん」といったものも存在する。もし家族が罹患した場合、私たちはどう向き合うべきなのか。

 書評家の東えりかさんが、治療が難しいとされる「原発不明がん」に罹患した夫・保雄さんが亡くなるまでの約160日間を記した『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)から、2人で過ごした自宅での18日間のようすをお届けする。(全4回の1回目/続きを読む

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残された時間を、私たちはどう過ごすべきか ©moonmoon/イメージマート

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自宅での緩和ケアが始まった

 緩和ケアへ移行すると宣告されてから8日後の2月28日火曜日。退院の日を迎えた。ありがたいことに抜けるような青空だ。この日までに介護ベッドなど、在宅診療・介護に必要なものは全部自宅に揃った。すでに介護認定は要介護度5に決定済みなので、さらに足りないものはすぐに手配できると高梨さんから聞いていた。すべてを確認して、私は家を出た。

 保雄が4ヶ月と20日ぶりに帰宅する。先が無いと告げられて絶望しているはずなのに、なぜか嬉しい。ここまでこぎつけたことが信じられないくらいだ。この数日ほとんど寝ていないので、精神的にハイな状態になっていたのかもしれない。

 昼過ぎに病院に到着すると、保雄は入院中に着ていたお仕着せの病衣を脱ぎ、上半身はお気に入りのシャツとセーターに着替え、下はオムツのせいでファスナーが開いたままのコーデュロイ素材のズボンを穿いて私の到着を待っていた。それでは寒そうだ、と看護師さんに頼んで、持参したウエストがゴムになっているユニクロの厚手のズボンに穿き替えさせてもらう。