ある日、夫が原因不明の腹痛に襲われ、原因を特定できないまま衰弱していった末、3ヶ月を経て判明した病名は「原発不明がん」、そして余命はわずか数週間だった――。
国民病とされる「がん」。その中には、発生率が低い「希少がん」や治療が困難な「難治がん」といったものも存在する。もし家族が罹患した場合、私たちはどう向き合うべきなのか。
書評家の東えりかさんが、夫・保雄さんが原発不明がんを発症し、亡くなるまでの約160日間を記した『見えない死神 原発不明がん、百六十日の記録』(集英社)から、保雄さんの“最期の瞬間”のようすをお届けする。(全4回の4回目/最初から読む)
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自宅生活15日目で、医師から「これ以上は無理だ」と……
最期はあっけないものだった。痛みがひどくなって、今までのシールの痛み止めや頓服の坐薬が効かなくなり、私が一晩中身体の位置を変え続けなければならなくなったことで、訪看が「これ以上は無理だ」と医師に告げ、効果の強い麻薬性鎮痛薬(オピオイド)が投与された。帰宅して15日目の夜のことだ。
そうなってもどこか意識は残っているようで、声をかければ応えてくれたし、誰が来たかもわかっていた。私との長い会話はほとんどできなくなってしまったが、こんな日でもずっと続いてほしいと心から祈っていた。
3月17日金曜日の朝、私は午前4時40分に目が覚めた。保雄を見ると大きく息をしている。苦しそうな様子はなく、規則的な寝息を聞いて、「ああ、今日も生きていてくれた」と安堵し、もう一度目をつぶったがもう寝られない。5時になったので布団から起き出し、カーテンを開けようとして、ふと彼を見ると様子が違って見えた。
