洗脳からの脱出劇
しかし、仕事ができない自分を許すことができず、苦しんだ。それに、子供たちが懐なついてくれることは嬉しいのに、愛されることが許せない自分もいる。完全に、洗脳の後遺症だった。
「お前は無価値だ」
「迷惑ばかりかけやがって」
「何のために生きてんだよ」
社会に自分の需要はない。存在していることも許されない。
洗脳から脱出しようとする小阪由佳Aの足を、姉さんの言葉を一身に浴びた小阪由佳Bが強力に引っ張る。
洗脳されている時も死んでしまいそうなほど辛かったが、そこからの脱出劇も同じくらい辛かった。
洗脳されている時は、自分から目を背ければよかった。だけど、姉さんから離れて一人で生きると決めたら、今度は「自分がやってきたことから逃げてはいけない」と思い詰めた。
事務所は怒ってるよな…。
ブログやライブでは名指しで罵倒しまくったから、いろんな人を相当不快にさせただろうし、迷惑もかけたよな…。
私から一方的に連絡を切った人たちは、恨んでるだろうな…。
なんであんなことをやってしまったんだろう。いくら姉さんの言うなりだったとしても実行した肉体は私だし、最終的に「やる」と決めたのも私。許されるはずがないことをやった自分が許せない。
でも、そうした後悔や怒りが芽生えたところで、時間は戻らない。「自分を許せない」という感情をどうすることもできない現実が立ちはだかった。
自分が嫌い。本当に本当に、だいっっっきらい!
たどりついた答え
だけど、いつまでもこのままではダメだ。この気持ちのまま生きていくのは、あまりにも辛すぎる。生きていくと決めたなら、この苦しみを背負い続けるのではなく、どうにか明るい方へと道を作らなくてはと毎日考えていた。
ファーストステップは、与えられた居場所で役に立つことだと考えた。保育園で働くにあたって、ものを忘れる、人と話すのが怖いといったことはネガティブな要素でしかない。そしてすべての根っこは「自分を許せない」というマインドにある。
どうしたらこの辛さから抜けられるのか─相談する相手もいないので、手当たり次第に本を読んだ。よくあるでしょう、『死にたくなったら読む本』とか『自分を愛せないあなたへ』とか。片っ端から購入しては1冊読んだら次の本へ、次の本へと読み進め、2冊を同時に読んでいたこともある。
そしてたどり着いたひとつの答えが、「嫌い」の先にある「許す」という行為だった。自分を好きになんて、ならなくてもいい。ただ少なくとも、自分が生きていてもいい、と許されたい。では、どうすれば私は自分を許していくことができるの?
1年以上読み続けた本は部屋の本棚からあふれ、床に山積みになっていた。
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