洗脳のダメージとリカバリ

 これは実体験でしかないのだが、「あなたはできるよ」と言われて育った脳と、「あんたは何もできないんだから」と言われた脳は、絶対その機能に影響があると思う。私は洗脳されていた間、狭い世界で四六時中罵声を浴びせられたせいか、脳が自力で考えることを放棄するようになっていた。人は傷つきすぎると思考を停止させ身を守るように出来ているらしい。実際に、過大な負荷がかかった脳は主体的な判断力を失い、受動的になるという。

「お前、ほんと脳みそ腐ってるな」と呪文のように唱えられ、罵倒され続けた結果、私には“自分の脳は腐っているんだ”という刷り込みがなされたようなのだ。実際に、ものを覚えられなくなっていた。しかも呂律がまわらない。

「私の脳は腐ったの? このまま社会で生きていけるの?」

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 私のリカバリは、「脳は腐っていない」ということを自分に教えてあげるトレーニングから始まったといっていい。

©山元茂樹/文藝春秋

 大丈夫、大丈夫。私の脳は腐っていない。自分の名前は言えるし、やりたいことだって見つかった。話ができる友達も、少しだけどいる。

 “ものが覚えられない”とはどういう状態か。わかりやすいところでは、言われたことをすぐに忘れてしまう。保育園で「お昼寝用の毛布を用意して」とか「おやつを準備して」とか言われても、3歩歩けば忘れてしまう感覚だ。

「まだやってないんですか?」

「さっき、お願いしましたよね?」

 当然、確認される。でも、頼まれたことは何もできていない。

 せっかく受け入れてくれたのに、何の役にも立てていないどころか、足を引っ張っている。

 やっとの思いで暗闇から掴んだ細い細い糸を、手放したくなかった。

 どうしよう、どうしよう。

 メモ帳に言われたこと、やるべきことをひたすら書いて、書いて、書いた。書いたメモはいつでも見ることができるよう、常に手に持っていた。そうでないと、書いたことそのものを忘れてしまうから。

 洗脳の影響で、対人恐怖症も発症していたことは少し触れた。

 自分が何かをすれば嫌われるのではないか。怒られるのではないか。面談のように目的がハッキリしている場ならなんとか乗り切れるのだが、それでも言葉に詰まる。さらに日常のコミュニケーションは恐怖だった。