「どうやってこの構成を作ったんですか?」
──芦沢さんは、葉真中さんの『家族』を読んでどう思われましたか?
芦沢 葉真中さん相手にこういう言い方をするのは失礼かもしれないんですが、改めて葉真中さんって本当に小説うまいんだなあと思って。この登場人物の量、いくつ家族が出てくるんだっていう人間関係の複雑さを読ませちゃう力がある。私はレシピが見えない小説がすごく好きなんですけど、これは本当にレシピが見えなくて。どうやってこの構成を作ったんですか?
葉真中 これは何度も試行錯誤しまして。この複雑な話を最後までちゃんと読ませて理解させる、ということが、この小説で考えたことの8割です。
尼崎連続変死事件自体はとても有名で、なんとなく何が起きたか知っている人は多いですが、例えばWikipediaで概要を調べても、複雑すぎて一発で理解できる人はほとんどいないと思います。
モデル小説として書く上では、どういう人たちがいて何が起きたかが分かるような作りにしたいと思いました。最初は事件そのものを単純化して飲み込みやすいものにしようとしたんですけど、単純化してしまうとこの事件の異常性みたいなものが削がれてしまう。極力現実の複雑さを、そのまま読者に理解できるように書きたくて構成については相当苦心したんです。
芦沢 でも、分かりやすくしようとした構成の作り方じゃないんですよ。結果的に分かりやすく読めるんだけど、かなり時系列が入れ替えられている。私はタランティーノの『パルプ・フィクション』を想起しました。
葉真中 時系列通りに事件の経過を書くことも考えたんですが、そうすると同じような家族乗っ取りの話を3回くらい繰り返すことになる。どうしても冗長になるし「この方法ではうまくいかないな」と思って、まずは主人公を作ろうと。そしてそいつは最初から最後まで全部に関わっている人間ではなくて、途中から巻き込まれてしまった人にしよう、と決めました。それが主人公の宗太です。
宗太を中心に据えて、彼が「家族」に取り込まれる前にこの「家族」の中で何があったかが照射されていく構成にすると、読んでいく中では主人公の軸をまず理解していって、そこにいろいろな形で過去の話の枝が入ってくることによって、勝手に整理されるんじゃないかと。このやり方なら複雑な話をコンパクトに構成することができるんじゃないかと思いました。
芦沢 時系列でないからこそ感じられるやるせなさとか、焦燥感がありますよね。モデルがある作品って、そのモデルになった事件がすごく魅力的だと、現実の事件の面白さなのか、それとも小説の面白さなのか分からなくなるものがよくあるじゃないですか。その点、この作品は小説としての面白さがすごく出ていると感じました。『事件発覚の〇年と〇日前」という書き方も、どこか神話的というか。運命論みたいな話も重なってきますよね。
葉真中 これだけ元の事件が強いと、「小説だからこそ」をどこで担保するのかは大変悩ましい。この事件に自分なりの工夫で何を持ち込めば小説になるかと考えて、一つの軸として思いついたのが「運命論」だったんです。おっしゃるとおりある種神話的な要素です。主犯の瑠璃子を神とした神話を紡ぐような感じ。気づく人は気づくと思いますが、聖書からエピソードの引用もしています。これは元の尼崎事件の構図にもマッチする上に、ノンフィクションとは違う小説ならではの読み味を持たせることができるんじゃないかなと。現実の事件の複雑さを極力残したまま、想像の余地がある部分を広げて小説として成立させるというのは自分なりに苦労したところなので、そこを面白いと言っていただけると、今日は安心して眠れます。
「愛」なるものを疑っていきたい
芦沢 この作品には「愛」とはなんだ、ということが繰り返し出てきます。でも、「愛=性欲」になっている部分がいくつもあるし、「愛」なるものの具体例がエピソードや物語の共有で積まれたものでなくて、わざと薄っぺらく書かれているような気がして。
葉真中 この小説を書くうえでの裏テーマというか、愛なるものとか家族なるもの、つまり世間的に「良きもの」とされていることを疑っていきたいという想いがありました。本作の中で「愛」という言葉を使った時、それが指すものはみんながストレートに想像する青春小説的な「友愛」や家族小説的な「親愛」とは違うんです。はた目には「それは愛なの?」と思われるようなものにしています。分かりやすいのは性欲の話だし、執着と思われるものもある。全面的には肯定できない使い方にしたいなと。
芦沢 特に主人公の宗太の愛はすごくひとりよがりなものだと思いながら読んでいました。
葉真中 かなり不適切なかかわり方ですよね。
芦沢 結婚相手である澄を守りたい、といいながら全然守っていない。「守りたい」と思いながら守れない人間の弱さ、人間臭さはすごく好きです。でも恋愛的な意味でいうと、こんな男、絶対いやですよね。
葉真中 私は宗太と澄のラブストーリーを書いているつもりでいて、でも途中から「汚いラブストーリー」にしたいなと思ったんです。「汚い」というのは、自分勝手な愛情の持ち方・持たれ方ということ。ただひとりよがりであるにせよ、宗太は澄を愛してるし、澄も最終的には宗太を愛しちゃってる瞬間がある。善悪とか適切、不適切関係なく、人が自分じゃない他者に対して愛情を抱いた瞬間って、どんな形でもその瞬間だけの尊さってあるんじゃないかということを、この作品に込めたかった。だから、物語の終盤で宗太が澄の手を握るシーンがあるんですけど、実はここを結末にしたかったんです。でも担当編集者から「つらすぎます」と言われて。
芦沢 そうだと思いますよ。あの部分は若干の自己陶酔感があるから、いいと感じる読者と、気持ち悪いと思う読者がいる。
葉真中 その気持ち悪さで終わるのもいいと思っていたんですよね。
芦沢 読者が受け入れがたくて「なんだこいつ」と思って終わるのも一つの小説の力だと思うんですけど、私は現状のラストが、主人公の宗太をも肯定することになったのを感じて、ざわざわした気持ちが少し落ち着いたんですよ。『鼓動』の時にも思ったんですけど、葉真中さんは「生きるということ」をとにかく大事にしている印象があって。この小説のラストを、時系列上の最後のシーンにするのではなく、生への肯定感が際立つシーンに据えたのが意外だし、いいなと思いました。
葉真中 そう読んでいただけたならよかったです。ここまでいろいろ話しておいてこんなことを言うのも変ですが、私、作者が何を思って書いたかは、小説の読まれ方に関係ないと思ってるんです。これから読む方にも、自分なりの『家族』を味わってほしいですね。今日は芦沢さんとお話ができてよかったです。ありがとうございました。
【プロフィール】
芦沢央(あしざわ・よう)
1984年東京都生まれ。2012年『罪の余白』で野性時代フロンティア文学賞を受賞しデビュー。同作は15年に映画化。23年『夜の道標』で日本推理作家協会賞を受賞。近著に『汚れた手をそこで拭かない』『嘘と隣人』など。
葉真中顕(はまなか・あき)
1976年東京都生まれ。2013年『ロスト・ケア』で日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞しデビュー。19年『凍てつく太陽』で大藪春彦賞および日本推理作家協会賞を、22年『灼熱』で渡辺淳一文学賞を受賞。近著に『鼓動』など。

