東京・浅草には名門の家根弥一家七代目を継承した村山洋二という親分がいて、この人が、モロッコを始め、井上喜人、吉水金吾ら横浜愚連隊の面々と昵懇にしており、また高橋輝男の銀座警察の一統とも親交があり、双方に顔が利いた人物であった。

 この村山総長との縁を通して、モロッコと高橋輝男の交流が生まれたとしても何ら不思議ではないのだが、そんな話はついぞ聞いたことがない。

「モロッコの辰」こと出口辰夫氏(写真提供=徳間書店)

「僕もモロッコの辰とは1度会ったことがあるんです」モロッコの辰と安藤昇の意外な関係

 それにしても、同時代に生きた横浜と銀座の極めつきの異色の両者が、どこかで顔を合わせたとして、その時、どんな所作をして、どんな会話を交わすものか。想像するだけで楽しい。

ADVERTISEMENT

 そういう意味で、私にモロッコとの思いがけない昔話を披露してくれたのは、今は亡き元安藤組のベストセラー作家・安部譲二氏だった。あれは忘れもしない平成17年11月5日、神楽坂の出版クラブで執り行われた「見沢知廉氏を偲ぶ会」でのこと。

 見沢は自身の懲役12年の獄中体験をモチーフにして執筆した「調律の帝国」で三島由紀夫賞候補にもなった作家だが、この2カ月前、マンションから飛び降り自裁していた。

 その見沢を偲ぶ会で、私は初めて安部氏と話をする機会を得たのだが、なぜかモロッコの辰の話になり、

「僕もモロッコの辰とは1度会ったことがあるんですよ。安藤(昇)のお伴で横須賀へ同行したことがありましてね。あれはモロッコの晩年の時だったのかなあ。今思うと、その時、モロッコの側にいたのが、若き日の野村秋介さんだったような気がしますね」

 と言うので、私も、

「えっ、安藤昇さんはモロッコと付き合いがあったのですか」

 と思わず訊いたものだが、初めて聞く話で、にわかには信じられなかった。決してあり得ないことではないにしても(安部氏の同行というのが、どうかなと思われたし、モロッコが横須賀に移った時分はもう野村氏は民族派に転身していたはずだった)、安部氏の記憶違いか、あるいはリップサービスとしか思えず、憎めない人だなあというのが、氏に対し、今に至る私の印象である。