「腰に2丁拳銃をぶらさげ、まるで西部劇のようなスタイルで登場した」約300人が参加した決闘の秘話
戦後の横浜愚連隊のレジェンドとして、モロッコの名をいっぺんに有名にしたのは、横浜中の博徒vs愚連隊の様相を呈した“保土ヶ谷遊園地の決闘”だろう。
発端は戦後間もない頃、“ハマの小鉄”の異名をとった清水小鉄という大物愚連隊が、ある博徒一家に袋叩きにされ、山中に埋められたこと。博徒の米ビツである賭場を荒らしたのだから、当然の報いであったが、これには愚連隊仲間がいきり立ち、報復に燃えた。
その助っ人に名乗りをあげる愚連隊が次々に現れたのは、モロッコを始め四天王が音頭をとったからだった。博徒側も、この機に一挙に愚連隊を潰そうと画策、両者の全面対決は避けられなくなった。
そこで愚連隊側は保土ヶ谷遊園地に陣を張り、関内、保土ヶ谷、杉田、南太田、東神奈川、綱島、鶴見等々から約300人が結集した。武器は猟銃、日本刀、ドス、竹ヤリなどだったという。この喧嘩に参加した横浜愚連隊OB氏は、こう振り返ってくれたものだ。
「あの当時、喧嘩だなんて言っても、拳銃なんか見たこともない。ちょっと上の兄ィが刀持ってるくらいで、オレたちは竹ヤリだもん。敵が来たら、構わねえからそれで突っついちゃえってなもんで(笑)、まるで荒神山の決闘だ。まだそんな時代だったんだね。で、何がたまげたかって、モロッコの辰ちゃんですよ」
この時、モロッコは大きなソフトを被り、革ジャン、乗馬ズボン、腰に2丁拳銃をぶらさげ、まるで西部劇のようなスタイルで登場したという。おまけに付いてきた舎弟たちは、「モロッコの辰」と書いた大きな幟まで掲げていたというのだ。
「辰ちゃんが現れた時、『おおっ!』とどよめきが起きました。初めて辰ちゃんを見た連中もいましたから、拳銃なんて手に入らんどころか、見たこともない時代に2丁拳銃だからね。革ジャンだって、着たくても着れない時代だった。度肝を抜かれたもんです」
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16歳の女性と男女の関係になり、結婚した「モロッコの辰」こと出口辰夫氏。その“知られざる結婚生活”とは――。以下のリンクから続きをお読みいただけます。
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