「うちは決して外国人を安く雇っているのではない。給与は日本人と一緒。待遇は自信を持って良いと言えるので、スタッフに聞いてみてほしいぐらいですよ。私は大変だけれど、みんな、楽しそうに働いているでしょ。それでいいよね」
合理的、効率化を突き進み、都合の悪い部分を隠すのが都会であるなら、ハモニカ横丁は辺境といえる場所かもしれない。だが、その辺境のほうが横丁に活気があり、都会が欲してやまない多様性が息づくのは興味深い。
「住みたい街ランキング」常連としてイメージが定着した吉祥寺が栄えたのは、手塚氏によればデパートが発端だという。
「バブル期に伊勢丹、近鉄、東急、パルコ、4つの施設が相次いで開業し、人が集まる街になっていった。それに伴ってサブカルも盛り上がり、ハモニカ横丁も栄えた。そこからデパートの全盛期が終わり、かろうじて残っているのがハモニカ横丁なんじゃないですかね」
人間はそう簡単には変わらない
街は長い時間をかけて形成され、文化が生まれていく。吉祥寺が「住みたい街」になったのも、デパートが相次いで開業した偶然がある。ハモニカ横丁も、戦後の闇市から始まり、手塚氏が「遊びで始めた」という焼鳥屋から盛り上がっていったように、それぞれの時代の文化を背景にして今がある。横丁、そして街の賑わいは一朝一夕ではつくれない。
「人はこれまで風景を背景にして新しいものを作ってきた。どんなものもいつかは古くなって風景の中に消える。産業革命以降、『効率化』が価値あるものとされてきた。SNSでさらにその流れは加速している。
ただ、いつの時代もみんな言っている。『これからはSNSの時代だ!』『これからはAIの時代だ!』。ただ、人の感覚や感性自体は大きく変わっていない。仮に人間の感覚器官が増えたりしない限り、感じ方は同じ。そう簡単に変わりませんよ」
ハモニカ横丁は均質化する世の中で現存するカオスな空間として今も吉祥寺に佇む。国籍問わずスタッフを受け入れ、「普通じゃない」店づくりを実践してきたここには、本当の意味での多様化が息づく。歴史や文化を下敷きに、長い時間をかけて街を形成している。表面的な多様性を謳い均質化する現代の商業施設とは一線を画す、唯一無二の空間として、今後も有り続けてほしい。
フードスタジアム編集長/飲食トレンドを発信する人
1988年栃木県生まれ。東北大学卒業後、教育系出版社や飲食業界系出版社を経て、2019年3月より飲食業界のトレンドを発信するWEBメディア「フードスタジアム」の編集長に就任。年間約300の飲食店を視察、100人の飲食店オーナーを取材する。
