江戸から令和までを見渡せる町

 明治以降は製糸業で栄えた古河には、戦後になって工業団地が進出。さらには東京への通勤圏内となって、そのベッドタウンへと変貌してゆく。

 

 茨城県内にあっては、牛久や取手、土浦などに先んじて首都圏への通勤の町になったといっていい。駅前のタワマンは、そうした“東京との近さ”の象徴なのだろう。

 タワマンとは反対、駅の東側は旧宿場町・城下町と比べると比較的新しい町だ。

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 十間通りと名乗る大きな目抜き通りがまっすぐ東に延び、その先には国道4号が通る。いまでは旧市街地よりも国道沿いのほうが中心になっているのだろうか。

 

 東口は駅の周囲にビジネスホテルも点在、スナックや飲み屋が集まる歓楽街のミニチュアのような一角もある。出張で郊外の工場を訪れる人が東口のホテルに泊まり、駅前のスナックで夜のひとときを過ごす、といった設えか。このあたりは、いかにも昭和の地方都市といった空気感が漂っている。

 

 宿場町・城下町から鉄道開業を契機に近代以降の都市化を経て、戦後になってベッドタウン。そうした歴史がまだらになって今も残っているのが古河の町だ。

 それはつまり、歴史そのものが町の中にそっくり反映されているということでもある。

 茨城県の県都から、遠く離れた西の端。新幹線が通るだけの町、古河。そこには、すべての日本の都市が辿った歴史が形になって残っている。

 

撮影=鼠入昌史

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