ミステリー、時代、SFなどジャンルを問わず、最も面白いと評価された作品に贈られる山田風太郎賞。2025年11月21日に贈呈式が行われ、『ミナミの春』で同賞を受賞した遠田潤子さんが、デビュー16年目の栄誉への喜びを語ってくれた。

第16回山田風太郎賞を受賞した遠田潤子『ミナミの春』(文藝春秋)

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「ずっと低空飛行のままだと思っていたら大きな賞が」

 このたびは、山田風太郎賞という栄誉ある賞をいただき、誠にありがとうございます。『ミナミの春』という作品を選んでくださった選考委員の皆様、本当にありがとうございました。今回のノミネート、そして受賞と、全く予想外のことで、いまだに実感がないような気がしております。

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 デビューしたのは43歳の時で、それから16年が経っております。作家としては割とずっと低空飛行のままで、一向に大きなベストセラーも出ないし、大きな賞ということもないし、知名度もずっと低い感じのまま上がらなかったんですけれども、自分の中で何か最近割と諦めが見えてきて、「まあ、死ぬまで一生こんな感じなのかなあ」と思っていたところ、こんなに大きな賞いただけることになって、「ああ、本当に人生は分からないもんやな」と不思議に思っています。

「懐疑的でアンチだった万博に17回も行くことに」

 受賞作の『ミナミの春』は、1970年の大阪万博から、今年の大阪・関西万博までを描いた連作短編です。1970年の万博は、私はまだ小さかったので、写真ぐらいでしか覚えてないんですけれども、今回の万博は本当にはまってしまいまして(笑)。

 最初は「なんで万博なんか大阪でやるんだろう、やらなきゃいいのに」って、ちょっと懐疑的なアンチなところもあったんです。でも、仕事の関係で行くことになりまして、あの大屋根リングの下に立った瞬間、もう本当になんか興奮する自分に気づきまして、すっかりはまってしまって……それからもう大惨事というか(笑)、なんと17回も通ってしまいました。

 万博というのは、何かちょっと聖地みたいな場所で、私はもう大きな国家イベントとか、そういうのは気乗りしなかったんですけれども、そんな自分が信じられないぐらいに夢中になってしまう、恐ろしい場所だったと思います。

『ミナミの春』で山田風太郎賞を受賞した遠田潤子さん