核家族は人工的な単位
ふたつとも、諸悪の根源はたぶん、日本の核家族化です。うちもそうですが、特に都市部の、近くに血縁者がいない核家族。僕は子供ができて、核家族って本当に孤立してるんだなと痛感しました。人類にとって実にアンリアルというか、作られた人工的な単位ですよ、核家族って。その単位がいかに苦しいか。
女性は昔から育児を一手に押しつけられていましたが、しっかりした共同社会があり、各々が大家族だった頃は、おじいさんやおばあさんといった手の空いている人に子供を預けることもできました。子供はその両親だけの子ではなく「みんなの子」みたいな意識があった。それが人間社会の自然な状態だった気がします。
でも1960年代から70年代にかけて急激に核家族化が進んだ結果、子育てが孤立した。祖父母が同居しておらず、都市部では近所のつながりも希薄化した結果、家庭内で妻ひとりに育児を押しつけることになったんです。
「育児を押しつけられてつらそう」な女性を母親に持った子供たちは、「ああ、育児ってつらいものなんだ」と当然思いますよね。僕もそうでした。
母の人生は、子供の成長に無頓着な父に振り回されっぱなしだったので。
母は、それでも父についていった
僕の育った家庭は、ちょっと特殊です。
僕はひとりっ子で生まれは東京なんですが、1歳のときに、それまで機械工だった父が一念発起して受験勉強を始め、関西の国立大学に入学しました。それで一家そろって関西に引っ越したんです。母は大手銀行勤務の一般職でしたが、出産後に退職。その後、家計を支えるため、保育士や事務などのアルバイトを転々としていました。
僕が5歳になると、父は「パリの大学に留学したい」と言い出し、一家でフランスに引っ越しました。僕は5歳から12歳までパリ暮らしの帰国子女なんです。
僕は僕で環境の変化に慣れるのが大変でしたけど、母は輪をかけてつらかったでしょう。フランス語だって、僕のほうは子供ゆえの適応能力ですぐに覚えましたが、母はさぞ日常生活で困ったはず。
いまだに聞けてないんですが、父が関西やパリで学生をやっていたときの一家の収入が謎なんです。父はほぼ無収入、母はアルバイト。家計は一体どうなっていたのか……。その点においても、母の心労は相当のものだったと思います。
実は、パリ時代から両親は別居していました。渡仏後しばらくして父が家を出ていってしまったんです。そうなると母がフランスに残る理由はないはずですが、僕を連れて帰国したりはしませんでした。そこは色々と事情があったんでしょう。最終的には離婚しましたが、別居とはいえ、当時はまだ家族でしたから。子供が父親と完全に離れた生活を送るのはかわいそうだ、とか。
フランスから帰国後、父は関西の大学に助教授として就任。その数年後には東京の私大に転勤しましたが、母は僕を連れて父の転勤先を追いかけ、一貫して父の職場の近くに住み続けました。