定時行動型の酔っぱらいは、郊外の鉄道沿線地域に暮らしている人びとの間で、とくに目立って見えていた。鉄道ダイヤにしたがった行動様式を、よく内面化したかれら郊外生活者たちは、どれだけ深酔いしていても、終電が近づくと、半ば機械的・無意識的に駅へと向かっていた。そのため、都心と郊外を複数の機械交通でつなぐターミナル駅は、深夜になると酔いつぶれた人びとや、終電を逃した人びとのたまり場と化していた。

写真はイメージ ©︎skywings_イメージマート

酔っぱらいであふれる駅ホーム

 1930年代の東京の場合、新宿駅がその代表的なたまり場となっていた。1931年、東京郊外に住んでいた作家の井伏鱒二が、夜中の新宿駅の酔っぱらい(井伏自身である)の様子を、詳細に書いている。井伏自身は勤め人ではないが、このような酔い方は、当時の多くの郊外生活者たちに、あてはまるものだったと思われる。

 私のうちは省線〔官営鉄道・中央線〕の荻窪駅の近くにあるが、市内で酒をのんで帰って来るときには、私は電車のなかで居眠りをして困る。すでに新宿駅のプラットフォムでベンチに腰をかけたまま居眠りをはじめて、自分の考えでは電車に乗っているつもりであるにもかかわらず、ときどき目をあけて見ても私は「しんじゆく」と書いてあるボールド〔駅名標〕を眺めるのである。そういうとき私は、〔夢の中で乗っている〕この電車は進行していないのだろうと疑ったり、ドアをあけて外に出ようと思ったりする。けれど実際には、私はプラットフォムのベンチに凭よりかかっているのであって、とうとう終電車に乗りそこねるという仕末なのである。

(井伏鱒二「泥酔記」)

 20世紀前半に行われた、稀少な終電調査によると、最終電車前後の駅ホームや電車内は、たしかに酔っぱらいたちで埋まっていた。

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 1941年、東京市内13駅の終電客を、10日間にわたって観察した読売新聞社の調査では、調査対象駅の終電の1日あたり乗降客総数は1166人、そのうち「酒気を帯びた者」は、7割弱に及んでいた。また、「風態」から観察者が推定した限りでは、乗降客の57%は「会社員」、1割近くは酒場の女性従業員が占めていた。駅別に見た場合、最も酩酊者が目立ったのは省線・新宿駅で、同駅の終電乗降客(1日あたり350人)の9割方は、酔っぱらっていたという。

図表作成 本島一宏

 大阪の盛り場付近の駅も、事情はいっしょであった。1930年、「道頓堀や心斎橋などカフェーの中心地帯」(『大阪府警察史』)の近くに位置した私鉄駅で、同様の調査が行われている。関西学院文学部の学生が実施した、南海鉄道・難波駅の終電乗客調査である。それによると、同駅の午前2時発の終電車に乗りこんだ男性客97人のうち、「酒気を帯びている者」は84人に達していた。さらに女性乗客(176人)の85%は「道頓堀付近の女給」らしき人びとだったため、車内は「カフェーの延長ともいえる」状態だったという(『大阪毎日新聞』1930年9月28日)。

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