かつては同輩集団の飲み会では、仲間内の特定の人物が順番に全額を負担し、互いに奢りあうものだった。それでは、なぜワリカン文化は大衆化したのか。その背景には、近代の合理主義的な職業倫理に適合した「節酒」の広まりが重要なきっかけにあるという。

 ここでは、社会学者の右田裕規氏の著書『「酔っぱらい」たちの日本近代 酒とアルコールの社会史』(角川新書)の一部を抜粋。奢りあう文化からワリカンが一般的になるまでの変容に迫る。

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無駄遣いとしての暴飲

「節酒」が近代の職業倫理に適合的な飲み方であるというのには、酔いを回避することとはまた別の理由がある。この飲酒のスタイルは、浪費への嫌悪という点からしても、近代の合理主義的な職業倫理と明白に結びついていた。つまり、飲み代や所持金や生計費、さらには中長期の人生設計への思慮にもとづいた、計算的で節約的な飲み方という点においてである。

 もともと銭金について思考をめぐらせながら酒を飲むことは、富の浪費が飲酒の主旨であった時代(近世)には、つつしむべき行為と見られていた。計算的な飲酒が社会的倫理となって人びとを拘束する事態とは、近代の産物にほかならない。「酒には考えるということが禁物のように思われて居たのに、考えながら飲んで居る人が年増しに多くなって居る。〔略〕不景気も酒の売れ高には響かぬもののように想像せられて居たのが、今回〔の昭和恐慌〕は可なり響いて居る」と、柳田国男が「明治大正史世相篇」(1931年)で書いているゆえんである。

写真はイメージ ©︎show999/イメージマート

 

 事実、柳田が「世相篇」を発表した頃になると、計算的思考を欠いた浪費的な飲み手を批判し、計算的で節約的な飲み手を称揚する種類の価値観は、子どもたちの道徳世界にも及んでいた。次の尋常小学校5年生の綴り方(1937年)は、その様子をよく伝えている。

 叔母さんは〔往来で騒いでいる〕よっぱらいを指さして、「あの人は、〔職業〕しょうかい所の仕事をやっているんだが働いたお金で、みんなお酒を飲んでしまうので、家はとてもびんぼうだよ。」〔略〕と、僕に話して聞かせて下さった。〔略〕僕のお父さんはすこしはお酒を飲むが働いたお金を、みんな飲まないで、其のお金の九分の一はタンスの中にしまっておいてある〔。〕(『全国新人綴方最高体験集成』)

 むろん、酒に浪費する機会が皆無になったわけでは決してない。たとえば私的な酒宴において上役や年長者が飲み代を全額負担する慣習は、20世紀の都市でも広く見られたものだった。ただ、近世以前と異なるのは、こうした酒への濫費が、生の充実以上に、後悔や反省の念を惹起しはじめていたことである。

 東大教授の矢部貞治の日記を見てみよう。1942年4月12日、仕事帰りに教え子4人を連れて飲みに繰り出した日のことである。

 渋谷に行く。滅多なところは学生を入れないので〔時局柄、酒場への学生の出入り規制がきびしくなっていた〕、学生を入れるようなところを探し二三軒飲み歩き、結果相当いい気持になったが、その代り六十円位散財させられ、頗る痛い。(『矢部貞治日記』)