「幹事が徴収」が宴会の典型的な終わり方に

 戦後になると、同輩集団での飲み食い代のワリカンは、いっそう目立ってくる。1979年、25歳以上の男性2042人が回答した総理府の世論調査では、「同性の友人」から「レストランの食事にさそわれた」際の支払いは、「わりかんにする」というのが67%に達していた(『いまの青年・いまの大人』)。

 当時の国際世論調査を信頼するならば、この醒めた支払い方は、日本社会でとくに際立って見えていた。日本では、自身がホスト役となった酒食の場でも、相手には奢らないという人びとの割合が、他国と比較してずっと多かった。1974年、アメリカ・西ドイツ・日本で一斉実施された社会規範調査(3か国の18~24歳700人と、かれらの親世代300人を対象)によると、「友人を誘って食事した場合、「友人の分も支払う」人は〔日本は〕五六%で、アメリカの六八%、西ドイツの六五%を下回」っていたという(「三つのアンケート」『国民』910号、1975年)。

 かくて20世紀以後の都市社会では、幹事が伝票をうけとり割り算した上で、1人ずつ徴収して回る、という事務的な光景が、勤労者たちの宴会の典型的な終わり方となる。いいかえると、帰り際の客に玄関先で酒を飲ませて酔いつぶすことを誇りとしたような、かつての浪費的で放埒な酒宴とは正反対の性格を、都市の宴会はまといはじめていた。

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