自身の金を使わずに楽しめる社用の酒宴
社用での酒宴の流行は、個人のこの節約志向と密接に結びついていた点でも、象徴的な現象だった。昭和初期、「サラリーマン」の実話もので人気を博し、自身も会社員だった前田一は、『続サラリーマン物語』(1928年)で次のように「公用宴会」の金銭的利点について述べている。
サラリーマンの有難さに、いつの時でも、自腹で〔料亭に〕行ったことは滅多にない。大抵は会社の公用宴会か、さもなければお客の接待だ。自腹では滅多に行けそうもない一流料亭にも、奉公して居ればこそだ、一人前のような顔つきをして、女将や芸者にちやほやされる。〔略〕会費は俺達の知ったことではない。いつの間にやら会社で払ってくれる。
つまり社用での宴会・接待は、自身の金を使わずに、存分に酒食が楽しめる貴重な機会でもあった。「自分が接待役でありながら、招聘したお客をそっちのけにして、自己本位の酒宴に会社の交際費を湯水の如く費う連中が多い」(辰野九紫『青バスの女』)という傾向も、20世紀前半にはあらわれていたようである。
奢りあう文化からワリカンへ
浪費的な飲み方への忌避がひろがるにつれて、同輩集団の飲み会でも、仲間内の特定の人物が順番に全額を負担し、互いに奢りあうという形(「田植え酒」のような形態)は衰退する。ワリカンが流行し、文字通り、算術が飲酒文化と密接に結びつきはじめる。
宴会代を、参加人員で頭割りする会計方法自体は、すでに中世・近世から見られたが、大衆化したのは、明白に20世紀のことである。「サラリー・マンの生活について考えると、彼等は、服装と、電車と、雑談と、月給の話と、猥談と、上司への阿諛と、退出時間への関心と、酒と、円タクと、割勘と、細君に対する弁解とで一杯になっている」と、寺田瑛『人生不連続線』(1936年)が書いているように、1930年代前後には、「割勘」は、給料生活者についての紋切型のイメージの1つにさえなっていた。
実際1930年代になると、国家が税制のなかに組みこむほど、私的な酒宴でのワリカンは一般化していたようである。1939年、奢侈的な宴会の抑制を目的として創設された「遊興飲食税」は、「大抵の宴会は頭割り勘定」で行われているという理由から、宴会代を参加人数で割って、「一人五円になれば課税」する、という制度設計となっていた。そのためこの新税では、「二人以上共同して遊興飲食」が行われた宴席については「頭割り勘定」した額を帳簿につけるよう、料理店側に義務づけていた(中野寅吉『新増税早わかり』)。
