アルコールに強くなるため、少しずつ量を増やしながら酒を飲み続ける「訓練」をした、もしくはさせられた経験を持つ人は少なくないだろう。実際、1986年に行われたある調査では、「先輩などから飲酒の訓練が足りないといわれたことがある」という回答者が64%にのぼった。

 いったいなぜ、職業人たちの間で「お酒を飲んでも酔わない=仕事ができる」という規範が生まれたのか。社会学者である右田裕規氏の著書『「酔っぱらい」たちの日本近代 酒とアルコールの社会史』(角川新書)の一部を抜粋し、紹介する。

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酒豪としての経営者像

 20世紀になっても多くの村落では、酔うこと・酔わせることが、非日常的な「儀礼」としての酒宴の第一条件であり続けていた。たとえば祝宴のホスト役が、招待客に強引に飲ませて泥酔させる近世の習俗は、20世紀前半の村でも、そのまま継承されていた。1930年代半ば、国家が進めた農村の生活改善運動において、「大盃等を用いて無理に酒を強いる悪風を矯めること」(富山県)や「草鞋酒、押の盃等無理酒を改むる事」(鳥取県)などが、各村の改善事項にかかげられていたのは、そのためである(『国民更生運動概況』)。

写真はイメージ ©︎moonmoon/イメージマート

 対して都市の勤め人たちの間では、大酒しても酔わないことが、職業人に必要な資質の1つとして重要視されはじめる。どれだけ飲んでも理知的な精神を保持し続ける「酒豪」が、かれらにとってのモデル的な飲み手となる。

 財界の大物が、そのような超人的飲み手としてしばしば表象されていたのは、その徴候の1つであった。「飲んでも決して乱に走らず、暴に陥らず、素顔の時と何ら異なる処がない、寧ろ飲めば飲むに従って益々頭脳明晰に、態度が又落付いて来る」(1940年、東京海上火災社長・各務鎌吉の伝記。『各務鎌吉』)。「彼の酒に強いことは実に有名だ。相当に飲むらしいが、顔色が赭(あか)くなる程度で、決して酔わない」(1939年、理研コンツェルン会長・大河内正敏の伝記。『財界人物評論全集』)。