酒に強くなる「訓練」

 産業社会に適合した、この酔わない身体は、努力次第で獲得できるものと信じられていた。そのため、20世紀の日本社会では、アルコールに強くなるための「訓練」が、男性勤労層において広く行われていた。少しずつ量を増やしながら酒を日々飲み続けると、アルコールへの「耐性」が生まれ、酔わない身体が獲得できる、という当時の信仰にもとづいた特訓である。

 いわゆる「サラリーマン作家」の土岐雄三は、三井信託銀行に入行した当時(1930年)、上司からこの飲酒特訓をうけた思い出を次のように振り返っている。

 入社早々私はどれほどこの待合〔築地の料亭〕に連れていかれたことか――銀行商売人は酒がのめなくて〔は〕つとまらん、お前はまだ酒の修業がたりぬようだ、ひとつ特訓して仕わそう、とばかり、三日に一度ぐらいの割で、連行された。そして無理矢理酒をのまされた。ビール、日本酒、ウイスキーは勿論、あいだに汁粉なども食わされ、酒はのんでも酒にのまれる勿れ、とじっくり教え込まれた。〔略〕しかも、いかにのみ、二日酔でアタマがあがらぬ朝でも出勤時間にすこしでもおくれると呼びつけられドヤされる。――酒に正体を失ってはならぬ、という理窟であろう。習うより慣れろで、いつか私も多少いけるようになった。(土岐雄三『人生まだ昼下り』)

 よしだけん『飲めない族』によると、この種の飲酒訓練は、20世紀全体をつうじて多くの男性勤労者たちが体験したものだった。1986年、「酒に弱い者」約200人を対象に実施されたアンケート調査(東京大学医学部精神衛生学教室・浅香昭雄らの調査)では、「先輩などから飲酒の訓練が足りないといわれたことがある」という回答者は64%、また実際に「飲酒訓練をしたことがある」という回答者は37%にのぼっていたという。しかも、この訓練経験は、年輩になるほど多く、「六十歳以上だけでみると、訓練経験者は七〇%に達し、戦前派飲めない族の苦労がしのばれる」と、よしだは調査結果を紹介している。

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 実効性の有無はともかく、とくに営業部員の場合には、この訓練は相当切実で実践的な意味合いを含んでいたようである。1950年代はじめ、盛田昭夫が営業担当常務を務めていた時代のソニーの営業部門の飲酒特訓を、沢田久男は次のように伝えている。

 そのころ、〔ソニーが新規市場開拓をめざしていた〕テープレコーダーは、まだ高価であり、放送局、官庁、会社、学校など、公共企業体が大きなおとくい先であった。いきおい、相手先の担当者と酒を飲む機会が多くなる。したがって、酒を飲めること、酒に強いこと、酒に吞まれないことなどが、営業部門のリーダーとして不可欠の要件であった。ところが当時、〔営業のチーフ候補であった〕倉橋〔正雄〕氏は、酒が一滴も飲めなかった。「これじゃ、営業マンのリーダーはつとまらんぞ」と、判断した盛田氏は、倉橋氏を自分の後継者に育てようと決意したその日から、毎晩、小料理屋に連れ出し、「飲むこと」を教えはじめたのである。(沢田久男『戦うプロジェクトチーム』)