記憶をなくす恐怖
記憶が飛ぶほど泥酔した人びとが、それでも電車を乗り継ぎ帰宅できたのも、こうした懸命な理性的演技に、おそらく多くを負っていた。「高粱酒を一本殆ど僕が飲んだら大いに酔った。どうして家に帰ったのか少しも記憶がない」(1941年3月9日、矢部貞治の日記)。「こんな筈ではなかったのに無茶飲みをした。朝日新聞の前で倒れたのを覚えている。その時平山〔三郎〕も倒れた由にて今夜は平山が顔に怪我をした。二人省線電車にて帰る途中殆んど記憶なし。〔略〕後で聞けば終電車なりし由也」(1947年2月21日、内田百閒の日記。『新輯内田百閒全集』)。
酔いをおびたまま出勤する場合にも、もちろん醒めた演技が必要となった。
下級サラリーマンのやりそうなことは、先ず「勤勉」を装うことであろう。仮令午前二時までカフェーを流して居っても、翌朝は禁酒国からでも来たような顔をすること〔略〕位のことは心得て居る。(前田一「サラリーマン意識論」)
アルコールの薬学的作用がきかない「酒豪」たちの像もまた、部分的にはこの演技のうまさから結ばれたものだったと想像できる。作家の林房雄は小説『息子の青春』(1950年)のなかで、当時の「酔わない自慢」たちの演技性を、次のように断じている。
酒を飲みはじめの初心者は、「酒はいくら飲んでも酔いません」と言って威張るのが普通である。〔略〕酒になれた真の酒徒は、最初の一杯で酔った気持になり〔略〕いくら飲んでも酔わないなどと不経済な文句は、かりそめにも口に出さない。これに反して、酔わない自慢の初心組は、五合飲んでも、なるほど酔わないように見えるが、六合目に突如としてあばれ出し、盃を投げ、先輩の頭をなぐり。座敷一杯に小間物屋をひろげて、後は前後不覚というような酔い方をする。