飲酒時の記憶の部分的な消失
飲みすぎに伴う記憶の部分的欠落(ブラックアウト)が、20世紀の多くの飲み手たちを不安にさせてきたのも、酔いの秘匿志向に由来した。このブラックアウト体験は、今日の日本社会にあっても、酒の上での代表的な「失敗」の1つとして、飲酒アンケート調査にしばしばのぼってくるものである。
たとえば2009年、朝日新聞社が2万人を対象に、「酒の失敗の経験」を複数回答させたアンケートでは、「記憶をなくす」と答えたのは2674人、酒を飲むという回答者の35%にのぼっていた(『朝日新聞』2009年1月31日。また、このアンケートでは、「電車を乗り過ごす」という「失敗」も40%(3119人)の回答者があげている)。
それにしても、飲酒時の記憶の部分的な消失が、なぜ不安や自己嫌悪を喚起する「失敗」として、飲酒者たちにしばしば体験されてきたのか。
重要なのは、記憶喪失そのものが、飲み手たちの不安を喚起しているのではない、という点である。かれらの不安は何よりも、記憶のない時間帯にあって、自分が理性的にふるまえていたかどうか、他者の目から酔いを隠しとおせていたかどうかが分からないことから生まれていた。
1958年1月20日、谷崎潤一郎宅での夕食会に招かれ泥酔した喜劇役者の古川緑波は、次の日の日記にこう書いている。「昨夜の記憶がないのが嫌だ、先生を怒らしちまったんじゃないかな〔略〕記憶喪失の気持ち悪さ」(『古川ロッパ昭和日記』)。だから、「記憶喪失」に陥った飲み手たちは、同席していた者たちに、記憶がない時間帯の自身のふるまいをいちいち確認し、しばしば落ち込むことになる。
酒乱はさめるとひどく後悔するものだ。自分では泥酔中の行動については、全く記憶がないか、断片的にしか覚えていないが、人からきかされて良心が痛む。そして二度と杯を手にしまいと決心もする。(式場隆三郎「アメリカ映画の文化性」)
夜酒を大分のみ、大盃の酒をのんだり、ダンスをしたりしたとのことだが、殆んど知らず。このように酔ったこと初めてである。(1953年11月29日、伊藤整の日記)
