「私は商品なんだから」中山美穂が抱えていた苦悩
順調すぎるキャリアを積んできた中山だったが、苦悩は増すばかりだった。1993年はデビュー以来、初めて女優活動を休止したが、その後も演じる役柄は似たようなものばかり。当時のエッセイに「演じることなんて大きらい。他人を演じて何が楽しいものかと思う」と切実な胸のうちをしたためている(『月刊カドカワ』1994年1月号)。
20歳を過ぎた頃、ある関係者に「君は商品だから」と言われて楽になったことがあった。ジャーナリストの島崎今日子氏に、中山は次のように語っている。
「私は商品なんだからちゃんと仕事を成功させれば周りには何も言わせない、あとは自由にしていいんだと割り切れたんです」(『AERA』2010年1月18日)
「自分を出せない」もどかしさが募った
本当は脇役を演じたいのに、やってくるのは似たような主役ばかり。単館で上映される映画をやりたいのに、やらなければいけないのは高視聴率を求められるゴールデンドラマ。仕事をこなすことに追われ、「自分を出せない」もどかしさが募った。
中山の所属事務所社長である山中則男氏は、「美穂は、同性に好かれることを喜んでいた。美穂を等身大に見てくれ、その生き方に共感してくれる女性ファンに、美穂は応じるようにして生きていた」と記している(『中山美穂 「C」からの物語』青志社)。まわりからの求めに応じる人生。そのことが中山を苦しめていた。
そんなときに出会ったのが、1995年3月に公開された岩井俊二監督の映画『Love Letter』である。25歳になった頃だった。
起用はプロデューサーの河井真也氏の発案だった。岩井監督は中山のコミカルな演技の印象が強かったため、一人二役のうち藤井樹役には合うが渡辺博子役は合わないのではないかと危惧していた。ところが実際に対面した中山は内気な博子のような人物であり、「いけそうだ」と確信したという。ショートヘアは岩井からの依頼ではなかったが、それが結果的に功を奏した(YouTube 岩井俊二映画祭 2025年4月9日)。
初対面だった中山に「私、映画って好きじゃないんです」と言われたのは有名なエピソード。岩井はとっさに「僕も映画は初めてなので、一緒に好きになっていきましょう」と声をかけた。これは岩井監督のファインプレーだろう。
