俳優、モデル、さらにアニメやゲームが好きな“オタクタレント”のパイオニアとして活躍した加藤夏希さん。現在は4児の母として忙しい日々を送りながら、俳優としての活動を再開している。そんな彼女に非常に変わった芸能界入りのきっかけから、名優・三國連太郎との会話で人生が変わった“運命の一言”、さらに大人っぽすぎて苦労した小学生時代などを聞いた。(全4回の1回目/続きを読む)
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スクール水着で参加したオーディションでグランプリ
――加藤さんは秋田出身ですけど、ものすごい田舎ってわけではないんですよね。
加藤夏希さん(以下、加藤) そうですね。住宅地にあります。ただ栄えているかっていうと栄えているわけではないですね。スーパーも車で20~30分かかるので。
――加藤さんはデビューのきっかけが非常に変わっていて、芸能界に興味はなかったそうですね。
加藤 兄にゲームで勝ちたかったのがきっかけです(笑)。当時「首都高バトル」というレースゲームがあったんですけど、なかなか兄に勝てなくて。今みたいにSNSもないですし、お小遣いで攻略本を買うのも難しい。そんな時にゲームを作った会社「元気」がキャンペーンガールを募集していて「これに出ればゲームを作っている人に会える」と思ったのが最初のきっかけです。小学校5年生の時でした。
――後の加藤さんの芸能界での活躍を考えると“らしい”きっかけですよね。キャンペーンガールのオーディションではすごく年上に見られたとか。
加藤 見た目はそうですね。書類審査の時も写真は大人びていたので、オーディションの方も「秋田から呼ぼうよ」となったみたいです。
オーディションはもともと東京ゲームショウでラウンドガールみたいな華やかなグループを作りたいというものだったようで、水着審査があったんです。周りの皆さんはグラマラスな方ばかりで、しかも日本人もほぼいないぐらい外国の方が多くて。その中で、私はゼッケンのついたスクール水着で参加してました(笑)。
――スクール水着で入ってきたら、審査員の人もざわざわしませんか?
加藤 「ええっ」って驚いてましたね。「えっ、君いくつ?」って。
――そこで初めて年齢確認なんですか。
加藤 そうなんですよ。後から聞いたら書類審査で実は1回落ちてたらしいんですよ。秋田と遠方だし、年齢が若すぎるから来れないよねって。ただ、審査員の中に後に所属することになる事務所のスタッフの方が入っていて、いい子がいればスカウトしようと思っていたみたいなんです。そのスタッフの方が、私の資料を合格の方にすっと忍び込ませて入れてくれたみたいで(笑)。結果、オーディションでグランプリをいただきました。
ただ小学生なので東京ゲームショウで水着を着るのは難しいとなって、準グランプリを急遽作って、その子たちがゲームショウで水着を着る担当になりました。

